スチューデント・アパシーという概念は何を問題にしているのか


青年期―精神病理学から (中公新書 (463))

青年期―精神病理学から (中公新書 (463))


久々に読み返してみたが、スチューデント・アパシーという概念が何を問題にしているのかが、やはり掴みにくい。
笠原が臨床を元に描いたスチューデント・アパシー像とは以下のようなものである。

ある大学生の日記から
国立大学工学部の男子学生T。地方都市の公立高校の出身、現役入学。二十歳。


某月某日 
専門課程に入ってしばらくしたころから、急に勉学意欲を失う。講義や実習をなまけがちになる。


この学生は大学の講義には行っていない。

某月某日 
とうとう講義にも実習にも全く出なくなってしまった。出なければ、と思うのだが、出られない。出られそうで、出られない。奇妙な感覚だ。そうはいっても一日下宿にいるのも退屈至極だから、大学へは行く。クラブ(少林寺拳法)で練習するのと生協食堂で飯を食うためである。夜ほ週二回家庭教師に行く。このほうは昨年来ずっと行っている。このほうは少しもいやではない。だからまるで家庭教師専業者になったみたいだ。


クラブには参加している。また、週2回の家庭教師のバイトにも行っている。授業に行かずに、クラブやサークルに行って、バイトに精を出すのは、よくあることのように思える。

某月某日 
とうとう夏休みも帰郷しないうちにすんだ。九月になったが、講義には依然として行っていない。朝起きて新聞を隅から隅まで読み、記部を項日別に分類しハサミを入れ、ファイルに入れる。それから大学の図書館へ行き、クラブの練習に出、家庭教師で終る。規則正しい日日だ。もともとキチンとしておくのが好きだった。誇りだった。考えてみると講義と実習こそ出ないが、毎日規則的に大学のキャンバスへ足をはこんでいる。そういう意味でなら、去年と少しもかわらない。図書館では小説と精神分析書物を読む。もうだいぶ読んだ。ちかぢか精神分析学会雑誌の賛助会員になろうと思う。推せん者があればよいそうだから。


ただ遊んでいるだけではなく、精神分析に興味を持ち、図書館に通い、多量の本を読んでいるようだ。「精神分析学会雑誌の賛助会員」になろうかという意欲も見せている。

某月某日 
父のたってのすすめもあって郷里に帰って釆た。そして父の小学校時代の友人が営むスキー場のアルバイトを始めた。三ケ月は山に入ったきりである。ここへきてよかったと思う。年末から正月にかけての人々のあわただしさ、正月の浮かれた雰囲気の中で異物のようにいるよりも、ここへ来るととても落ち着く。少なくともここには仕事があり、働いただけの報酬をもらえるという充実感がある。金がもらえるからというだけではない。時間が充実しているのだ。


スキー場のバイトをして働く喜びを感じているようだ。


確かに大学の講義には出てはいないが、クラブに参加し、家庭教師のバイトも週二回ちゃんとこなし、精神分析という分野に興味を持ち、図書館に通い、たくさん本を読み、精神分析の学会の賛助会員になろうかと意気込んでいる。スキー場でバイトをした時には、時間が充実していると、働く喜びまで感じている。実に意欲的なように思えるのだが。


昔の大学と今の大学が変わってしまったからなのだろうか。スチューデント・アパシーという概念が何を問題としているのかが掴みにくい。こんな学生生活で良いんじゃないかと思ってしまう。ちなみに笠原の記述は1977年出版のものである。