布村育子「不登校経験の語られ方」

布村育子,2004,
「不登校経験の語られ方−不登校と引きこもりの接続を検討する」
『埼玉学園大学紀要』人間学部篇 4,35-48.


「ひきこもり」というものが社会問題化されて以降、「不登校」のリスクファクターとして「ひきこもり」は取り上げられるようになってきた。
このことに対する(おそらく)言説分析の論文。

 しかし、ここで確認しておきたいのは、そもそも、「引きこもり」とは、社会問題とされなければならないほどに、注目すべき現象であったのだろうかという疑問である。まず、この点を検証してみたい。なぜならば、多くの「社会問題」がそうであるように、一部の専門家とマスメディアが結託して流布されたブームとしての「問題」である可能性が考えられるからだ。


著者は「不登校」→「ひきこもり」という状態の推移に疑問符をつける。
ここで引用されるのはやはり斎藤環である。

その間題化の過程に置いては、斎藤環の一連の著書が大きな役割を果たしている。先にも指摘したように、彼は「引きこもり」を取り上げた最初の著書『社会的ひきこもり』から、一貫して「不登校」と「引きこもり」を接続させて語っている。


斎藤環は「不登校」と「ひきこもり」を接続して語ることをしており、彼を中心に「不登校」と「ひきこもり」が接続して語られる語られ方が出来たのだと論は進む。


これは「言説」のレベルでの話。
実態はどうかというと、ここで引用されているのは倉本英彦が編集した『社会的ひきこもりへの援助』で示されている臨床医によるデータである。このデータを恣意的であるとして、「不登校」と「ひきこもり」を接続して語ることは恣意的だと筆者は言う。

不登校」と「引きこもり」を、診断者の印象のみで、簡単に接続させて語る方法は、かなり恣意的であるといわざるをえまい。しかしながら、「不登校を克服しなければ、引きこもりとなってしまう」という強迫的なイメージのみは、その統計結果を超えて、ひろく行き渡っている


そして、筆者は以下のような結論を下す。

不登校現象は、不登校経験者が、自らのアイデンティティーを保つために、「克服」出来ない者を否定する物語、あるいは「引きこもり」と接続することによって、旧来の日本的「世間の掟」、「飽いて一人前」「働かざる者食うべからず」と言った強迫的な「語られ方」を復活させた。この語られ方の登場によって、学校や社会の価値観を相対化してきた不登校物語は、完全にその事を引かれてしまった。


つまり、「不登校」と「ひきこもり」の接続は恣意的なもので、言説上で構成されたものに過ぎない。その言説上で構成されたものをクローズアップすることによって、不登校運動の成果のようなものを破壊し、「飽いて一人前」「働かざる者食うべからず」と言った強迫的な「語られ方」を不登校に復活されることになったと批判をしているのである。


「ひきこもり」の存在がクローズアップされるようになって、不登校運動が紡いできた物語が破壊されたということはあるが、この論文の問題点は、「不登校」と「ひきこもり」の接続が実態として恣意的だとしている点である。ここで掲載したように、「不登校」と「ひきこもり」の関係は、斎藤環による創作物ではなく、実態として複数の調査によって確認されている事実である。


調査名 不登校経験率
『ひきこもりガイドライン 61.4%
斎藤環の診療データ 86%
埼玉県実態調査 64.6%
大分県実態調査 69.6%


このような厚生労働省の調査や地方公共団体による調査の結果を無視する形で、倉本編著本の臨床医の記述のみを示しているのは、資料の扱い方として非常に恣意的である。載せられる資料が政府の施策として出た『厚生労働省ガイドライン』ではなく、倉本編著本の臨床医の記述というマイナーなものを選択したのか?というのはまったく不思議である。これは非常に恣意的な選択と言える。恣意的な資料の提示でもって、「不登校」と「ひきこもり」の関係性を「恣意的」だと言うのは、それこそ恣意的以外のなにものでもない。


この論文は2004年末の紀要に掲載されたものである。ひきこもりガイドラインは2003年、埼玉の調査は2002年、大分の調査は2004年にそれぞれ結果が出ている。年次を見る限り、調査結果が出る前に論文を書いたので調査結果が載せられなかったのではない。


これでは、結論をいいたいがために、都合の良い資料だけ提示して、都合の悪いものを隠す「詐欺」を働いていると思われても致し方が無かろう。好意的に解釈すれば、勉強不足だったのだということなのかもしれないが、ろくに調べもせず想像でものを書くことは学術の論文ではやっていけないことである。学術の論文で書くならば、このような最低限のルールは守って欲しいものである。