心理学の立場から、仲間集団をひきこもりの要因と考える論文。
「ひきこもり」は心理の問題だと考えられがちだが、心理学で「ひきこもり」を扱った論文は多いとは言えないのが現状である。
ちなみに扱われている5例のうち2例は発達障害の例である。
生地新・森岡由起子・三浦真理・鈴木飛鳥,2006, 「ひきこもりの発現との関連から見た仲間集団および引きこもり支援としての仲間集団の発達論的研究」 『厚生労働科学研究費補助金(こころの健康科学研究事業)総括研究報告書 思春期・青年期の「ひきこもり」に関する精神医学的研究』
以上の議論における問題意識を要約すると、以下の3つの仮説にまとめられる。
1)「ひきこもり」状態に陥る背景に前青年期(前思春期)から青年期中期にかけての仲間集団体験の乏しさや仲間集団の中での挫折があるのではないか。
2)「ひきこもり」状態になれば、仲間集団からの離脱することになり、結果的に社会性の発達が停滞することが、悪循環的に「ひきこもり」の遷延化につながっているのではないか。
3)「ひきこもり」状態の人たちへの支援方法として「仲間」との出会いの場を提供することが有効なのではないか。
上記の3つがこの論文の仮説である。
1.「ひきこもり」になるプロセスと仲間体験
今回面接した5人のうち、4人が中学の時に「不登校」を経験している。ケースBでは、そこから一旦立ち直って、大学でふたたび通学できなくなっている。あとの3人は、中学の不登校からそのまま、もしくは短い高校の通学期間をはさんで「ひきこもり」に至っている。
やはり「不登校」が多いという指摘。
面接には、ケースAやケースBのように広汎性発達障害のケースが含まれているが、広汎性発達障害では人間への関心の発達が遅いという特徴があり、結果的に仲間集団へ加わることができず、自分から仲間を求める気持ちも薄いということから、そのまま家に閉じこもるというケースもあると思われる。発達障害ではなくても、対人関係場面での不安や緊張が強い人が、学校になじめずに不登校となり、十分な支援を受けないままに「ひきこもり」に至るという場合もあると考えられる。いずれにしても、今回の対象者では「ひきこもり」の背景としては、生来の対人関係の希薄さが目立っていたと言えるだろう。このうち、対人関係でのつまずきがきっかけの場合には、それ以前の仲間体験の乏しさが見て取れるケースもある。
「ひきこもり」は他者とのコミュニケーションをとらないということが定義に入っているので、コミュニケーションに問題があるのは、言ってみれば当然の話。なぜコミュニケーションに問題がでるのかが知りたいところ。
「生来の対人関係の希薄さ」というのは社会学的にみると非常に怪しい概念である。なぜなら、体験は回顧的(retrospective )に構築されるものだからだ。現在の状態がひきこもり状態に近ければ、過去の記憶もそのように構築されている傾向がある。確かに、ひきこもり経験者に聞き取りをすると、あまり元来自分は人付き合いを好んでしないという回答が良く返ってくる。しかし、この主観的な体験の構築には注意すべきである。「コミュニケーションをとらない自分」という自己了解があると、他者はコミュニケーションを好んでとっているだろうという構築が行われる。そういう構築のもとで発せられた言葉である可能性がある。
また、ひきこもり状態に至っていない人が社交的でコミュニケーションを好んでとっているかというと、そんなことはない。社会参加をしていても人付き合いを好んでしないという人は多いはずである。会社で働いているときには必要性があるため話をするが、会社が休日の時は家にいる人もおそらくそうだろうし、退職した瞬間に友人が一人もおらず「碁を打つ相手も居ない」などと形容されるような人もおそらくそうだろう。
主観を聞き取るだけではなく、事実関係から、友人関係がどうだったのかということを聞き取る必要がある。現に論文中ではケースAについて「友達遊び以上の発展はなかった」という記述があるが、友達遊びが成立しているならば「生来の対人関係の希薄さ」は相当しないのではないかと思われる。
また、5人中4人が不登校経験を持っているということにも注意する必要がある。原因がどうあれ、不登校は集団不適応であるので、対人関係を希薄にさせる。ひきこもりにはならない不登校児童と比較して、ひきこもり群には仲間集団の体験の乏しさが存在するというならば、理路は通るが、この論文にはそのような記述はない。
5人中4人が不登校という状態で「仲間集団の体験の乏しさ」を要因としてあげるのは、不登校は対人関係を希薄にさせるし、「ひきこもり」も対人関係を希薄にさせると言っていることになる。要するに「不登校」と「ひきこもり」には共通する部分があるということだ。これは、よく知られた事実であるような気がする。
研究要旨
青年期デイケアや青年期グループに参加している「ひきこもり」経験者に、「ひきこもり」に陥った経緯や仲間集団体験や友人関係についての項目を含む半構造化面接を行った。面接を施行した対象者は、平成17年度は5人だけであった。今回の対象者では「ひきこもり」に陥る背景に青年期における仲間集団の体験の乏しさが目立った。「ひきこもり」の遷延化の要因としての仲間集団からの離脱の影響については、明確にできなかった。「ひきこもり」状態の人たちへの支援方法として「仲間」との出会いの場を提供することが有効であろうことは、回復者の体験や支援サービスについての希望から推測できた。