中村牧子「歴史的視点からみる近代化・流動化・平等化」


流動化と社会格差 (講座・社会変動)

流動化と社会格差 (講座・社会変動)


この本から中村牧子氏のコラム(54-8ページ)より。近世における移動について述べられている。(参照:http://d.hatena.ne.jp/iDES/20061128/1164728772)

 鈴木らの主張をみる限り,明治より前には,人はほとんど流動性をもたなかったように見えるが,実際には人は以前から,かなり活発にうごいていた。地域的には,各地の農村から近隣の農村や町場への出奉公がなされていた。しかも奉公終了後に帰村するとは限らず,数年ごとに農村から農村を巡る者もあれば,町場から都市へと移動を重ね,ついに江戸までたどり着く者もあった[速水,1988:111−135]。こうした移動は異産業への参入を伴うから,この地域移動とともに人は,たとえ百姓の生まれでも,商業に従事し,または医師・僧侶などになった。つまり明治より前の時代でも,流動性は地域的にも職業的にも,一定程度存在し,出身に捉われない地位に就くチャンスもあったのである。その意味で,近代化が始まる以前にも,流動性や平等性は決して,稀少ではなかった。よって流動性・平等性の変化は,近代の決定的な指標ではない。むしろ測定者の尺度のとりかたに依存する,曖昧なものといわねばならない。
 また,仮に明治以後が相対的に流動性・平等性の高い時期であったとしても,この高い流動性や平等性は,必ずしも「近代」の特徴ではない。


「高い流動性や平等性は,必ずしも「近代」の特徴ではない」ということである。近世の歴史学研究をみても、このように捉えて間違いないと考えられる。「鍛冶屋の息子は鍛冶屋」だった時代は日本には存在していない(欧米がどうだったのかは知らない)。


中村氏によると近代日本で流動性が高かったのは3つ時点のようだ。

 近代を通じて,人の流動性・平等性が特に高かったのは,次の3つの時期である。第一は,近代的な組織形態をもつ重工業系大企業が,都市部を中心として生まれ,ブルーカラー層やホワイトカラー層(新中間層)が形成された,1920年ごろの時期である。これらの新しい社会層への供給源であった農民子弟らのうごきは,統計的にも,農村からの流出,農業からの流出としてかなり顕著に観察できる。当時の人々自身も,「農家の後継ぎまで都会へ出て行く」ことを,深刻な問題として意識していた。第二は,1930〜60年ごろの時期である。地域移動,職業移動の諸統計には,第一の時期を上回る10年刻みの激しい変動−農村・都市間,農業・雇用間の往復運動−がみられる。これはこの時期が,第二次世界大戦期に重なるためである。工場への動員や兵役,疎開等は,人を地域的・職業的にうごかざるを得ない状態に追い込んだ。また,復員時にもとの職場に戻れる保証はなかったから,人は本来就くはずのなかった多様な職業に参入していったのである。そして第三は,高度成長期である。この時期には第一次産業が急激に縮小する一方で,第二次ついで第三次産業が急成長し,人を都市とブルーカラー・ホワイトカラー職へと引き寄せた。だがこれらの時期を経た後には,流動性は次第に低下する傾向を示している。
 以上の3つの時期をみる限り,人がうごくのは,戦争等の非常時を除けば,産業構造の転換により旧産業領域から新産業領域へ人々が移りゆく過渡期である。こうした時期には人々の大きなうごきが生まれるが,この動揺・移行が終了すれば.流動性はむしろ減少する。またこうした事情で受け皿が大きい時期


流動化した後は固定化が起こっているようである。


明治以降の常識的な見方として、近代になってから流動性が増し、平等になった(開放性が上がった)と考えてしまうのは、認識の問題があるようである。

「〇〇村百姓俸何某」が,隣村で下男をしたり,江戸の商家で丁稚奉公をしたりしていたのである。ところが明治以降には,人はそれぞれ,現在就いている地位によって同定されるようになった。従来どおりに行われている移動も,この新しい日でみれば全く異なってみえる。これまでは「仮に滞在していた」だけの人々が,「移動をした」人々として現れてくる。またそれに応じて,人の社会的地位は,「身分・生まれ」ではなく「本人の努力」によって決まると見なされるようになる。その意味で,明治初頭という時期は,人の移動が各所で発見され始めた時期であり,流動性・平等性が高まって見えるようになった時期であった。


非常に興味深い指摘である。


以下は中村氏の記述とは関係ない記述として。個人的には士農工商ではなく、士農分離が江戸時代を表現するのに妥当であり、残りのものは職分だと理解すべきだと考えている。士農工商という序列があったというのは近世の身分の適切な理解ではない。また、統治権力であった士族が強権をもっていたというのは誤解である。このことは一揆研究などをみると非常に明確に見えてくる(ISBN:4642055371)。明治になって、士農分離が解体されたとされるのは、ある部分ではそれは妥当だが、実態として解体されたのかという疑問の余地がある。江戸幕府が倒れて、徳川から薩長へ頭はすげかわったのは確かだが、公務員全体の構成者はそれほど変わっているわけではない。名目的に「四民平等」が謳われたことを評価しすぎている人がいるように思う。


このコラムで扱われていたトピックについては以下の本におそらく詳しく載っている(はず)。未読。


人の移動と近代化―「日本社会」を読み換える

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以下の本も読みたい。非常に興味深い。


学校の窓から見える近代日本―「協調」の起源と行方

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