井出草平の研究ノート

ブルデュー『ディスタンクシオン』輪読会第25夜 覚書

旧版242ページから。

隠れたエンクロージャ

数字の上で層の厚みが下降線をたどっている商業経営者と農業従事者という二つのカテゴリーが、どうしても学校への依存度を高めざるをえなかったということ。そしてもうひとつは、これらのカテゴリーの内部構造がわずかに分散する方向で変化した結果、あるいはもっと正確に言えば、それらの下層部が特に危機にみまわれ、消滅や転換の必要にせまられた結果、その全体的な統計上の数値が高くなったことである(それはたとえば、学歴資格などに関してはっきり現われている)。グラフに描かれた就学率は、おそらく実際よりも高めになっている。というのは、この統計では一人住まいの者や寄宿舎・学生寮などに住んでいる者は除いて、家族と一緒に住んでいる青少年だけを調査対象としているからである。そしてその程度はたぶん社会階層の下になればなるほど大きくなっていると思われる。

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出身階層ごとの就学率の図である。ディスタンクシオン執筆時点でフランスの義務教育は16歳までであったので、義務教育以後に学校に在籍している割合のグラフである。現在の日本だと中卒後ということになるが、9割以上が高校進学をするため、高卒後に教育を受けているか否かというグラフに近いだろう。

1882年3月28日の法律で13歳と定められていた義務教育の最高年齢は、1936年8月9日の法律で第一段階として14歳まで延長された12。1959年1月6日、シャルル・ド・ゴール共和国大統領が署名した条例により、義務教育を14歳から16歳に延長することが決定された。この条例では、違反した場合、家族手当を取り消すという罰則が設けられていた。1947年6月のLangevin-Wallon計画と1958年のFEN会議に触発されたものである。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Instruction_obligatoire

フランスの義務教育は16歳までであるが、1959年に14歳から16歳に延長されたので、グラフの真ん中くらいで制度が変わっている。

この時期には第一次産業から第二次第三次産業へ、第二次産業から第三次産業への移動があった。ホワイトカラーになるためには、学歴が必要であるというのはどの国の近代にも生じることなので、高い学歴を望むというのは垂直移動であるとともに、水平移動であったことも意味する。従って、背景にエンクロージャーがあったと考えることもできよう。

www.kisoken.org

「囲い込み運動」は世界史の教科書にも登場するのでわりと有名な言葉だと思う。羊毛産業が盛んになったため、農地を取り上げて羊を飼い始めたという現象である。どのような時代でも産業転換があった場合に何かしらのエンクロージャーは生じる。『資本論』では、土地を奪われた農民は賃労働をせざるを得ず、資本無き者へと転落させられる話として描かれているが、ブルデューが描いた第二次世界大戦後のエンクロージャーは被害的な面はありつつ、むしろ当人が意志を持って(ある意味喜んで)水平移動をしていた側面もあるのではないだろうか。階層の垂直移動を目指し、その手段として、大学に行ったものの、、、という皮肉めいた話が少し後に出てくる。

レイモンド・ブードン「フランスの大学危機」

旧版247ページ。

ブルデューがブードンを批判している箇所がある。

en.wikipedia.org

たとえば一九五〇年から一九六〇年までの大学における「平均募集人員の増加」(これにはほとんどなんの意味もなしについて語り、そこからブルジョワ大学は「中間階級の支配する大学」へと変貌したという結論をひきだすたぐいの単純さは、イデオロギー的頑固さといったものだけでは充分に説明しきれるものではない(R・ブードン「フランスの大学危機--社会学的診断の試み」、〈アナール〉三号、一九六九年五月--六月)。
R. Boudon, « La crise universitaire française : essai de diagnostic sociologique », Annales, 3, mai-juin 1969, p. 747-748

該当論文はこちら。

www.persee.fr

今回調べていて思ったのだが、フランスは昔の論文に関してオンラインで無料で読めるようにしているのではないかと思った。このあたり、日本ももう少し頑張ってほしいところ。

フランス病

旧版247ページ。

  1. Peyrefitte, Le Mal français, Paris, Plon, 1978, passim et spécial. p. 408-409 et p. 509-511

フランス病というと梅毒のことだが、ここではペイルフィットによって書かれた本のこと。フランスでは100万部の大ベストセラーになったようなので、日本語版も翻訳されているのだろう。中身は未確認だがフランス語版のWikipediaに項目があるので、ざっくりと概要は把握できる。

fr.wikipedia.org

フランスでは理学部と文学部が「追放の場」

旧版247ページ。

大学の文学部と理学部とは、明らかにグランド・ゼコールをその頂点とする場の最下位に位置し、またそれらが与えてくれる肩書のもたらす経済的・社会的利益の面から判断すると、近年増えている商業学校のうち最も新しく最も権威のないものにくらべても、今日ではさらに低い位置にあるほどで、追放の場としてのあらゆる特性をそなえている。その第一に挙げられるのが異常に高い「大衆化」率(および女子の入学率)であって、それには節度をもった測定者でも驚いてしまう。

訳者も「一般大学のこれらの学部は、日本と違って一般に評価が低い。」と注釈を書いているように、日本とやや違った評価体系のようだ。日本でも、文学部より法学部や経済学部、理学部より工学部の方が就職に強いという話はあるので、なんとなくわかるのだが、どうやら日本と比べても想像以上に評価が低いらしい。

ちなみに「追放の場」というのはdes lieux de relégationであり、英語ではplaces of relegationとなる。

www.cnrtl.fr

降格、スポーツでの降格、追放、刑罰の一種、島流しといった意味合いであり、ブルデューの表現はひどく厳しい。

どのような文脈かというと、大卒者が増える時代になってくると、親の世代は大卒でなかった者も大学入学を目指してくる。そういった子弟に与えられる大学の席が、文学部と理学部であり、実際はそのような大学に入ったとしても、大卒という権威や名誉は与えられず、おそらく就職でもあまり有利にはならない、といった位置づけである。教育における差異化、つまり、かつて大卒であった層は文学部と理学部は捨て、別の学部に移動し、新参者の大卒者が属する所として位置しているという分析であろう。

なんだか酷い話である。

なお、これがエンクロージャーの結末の話でもある。

イギリスではナイトの称号に価値がなくなる

旧版248ページ。

地位に価値がなくなる時のメカニズムの例としてイギリスの爵位の話がでてくる。

まず最初に打撃を受けたのはエスクァイァやアームズ〔いずれもナイトより下位の称号〕であり、次いでナイトの称号が急速に価値を失っていったため、この称号を最も古くからもっている人々は新しい爵位の創設を求めて運動せざるをえなくなった。その結果設けられたのがバロネット(準子爵)である。しかしナイトと王国貴族との間を埋めるものとして創られたこの新しい爵位は、ある種の距離によってその価値が保たれていた上級爵位の保持者たちにとってはひとつの脅威であった。かくして、爵位志願者たちは爵位保持者たちの稀少価値を支えていた称号をわがものとすることによって、彼らの衰亡に一役買ったわけである。

ナイトの称号を受けると偉いのではないか、と思っていたので、意外だった。男性だと「サー」が付く人である。余談だが、初めて「ナイト」を認識したのはアーサー・コナン・ドイルであつた。ちなみにカルロス・ゴーンも叙勲(ナイト・コマンダー)を受けているらしい。

肩書保持者の地位の保持の方法

旧版249ページ。

最も稀少価値の高い肩書の保有者たちはまた、人数制限を設けることによっていわばレースの外、せりあいの外、競争の外に身を置くこともできる。 定員超過分の者たちにたいして自らを守るために、稀少価値のある肩書およびその肩書によって得られる稀少価値のあるポストの保持者たちは、そのポストを規定するひとつの定義を守らなければならないのだが、その定義とはすなわち、肩書とポストが稀少価値をもつ一定の状態においてそのポストを現に占めている人々自身の定義にほかならない。たとえば医師や建築家、教授などが、これからこれらの職につきたいと思う者は現にいま自分たちがあるような姿、つまり自分たち自身の姿のようでなくてはならないと公言するとき、彼らはその職の定義のなかに、職を占めている者が少数であることによってこのポストに与えられるあらゆる特性(たとえば出身階層の高さのような、厳しい選別に結びついた二次的特性)、すなわち競争にたいして、またそれが必ずひきおこすであろうポストの変化にたいして、一定の制限が設けられていることによって与えられるあらゆる特性を、永久に続くものとして含ませているのである。

医師、建築家、教授の中で現代日本で該当するのは、医師であろう。
医学部の新設は難しく、医師数を増やさないことで職業的価値を保っている部分がある。医師会が主導しているだろうが、監督官庁文科省なので医師数のコントロール文科省にとっても大事である。

医学部ではないが、耳目を集めた例として、加計学園獣医学部を新設する際に安倍元首相が口利きをしたのではないかという疑惑があった。真相はわからないが、安倍批判の先陣を切ったのが文科省の官僚やOBであった(貧困女性調査と称して恋活BARラブオンザビーチに通っていた方など)ことから、官邸と文科省のあいだに権益の対立があるのはおそらく間違いないのだろう。

豆知識:恋活BARラブオンザビーチには貧困調査には向いていない

diamond.jp

学者は偉いのか

教授は今の日本では全く偉くないのではないか、という話から、かつては学者・教授から政治家へというライフコースがあったという余談。今では珍しくなっている。

ja.wikipedia.org

鳩山一郎がそういうライフコースを歩んだ近代日本での好例だと思ったのだが、事情は単純ではないらしい。鳩山一郎二世議員なのだと今回調べて初めて知った。一郎の祖父の博房は勝山藩の江戸虎ノ門の勝山藩邸で藩の外交を取り仕切る江戸詰留守居役であり、その息子の和男(一郎の父)は開成学校(のち東京大学)を卒業、第1回留学生に選ばれ、米国へ留学。コロンビア大学で法学士を取得、イェール大学で法学博士号を取得する。帰国後、代言人(弁護士)・東京帝国大学講師等を歴任し、東京府会議員に当選、外務省入省。外務省書記官、取締局長、東京帝国大学教授に就任、東京府第9区より当選というライフコースである。

明治初期には、鳩山和男レベルに優秀だと、学者・キャリア官僚・政治家の間でジョブチェンジが可能であったことがわかる。ただ、このジョブチェンジは現在では難しい。キャリア官僚から政治家という道はあるものの、片道切符になるのが現在の通例である。

これは、1887年(明治20年)に官吏の任用試験制度が整備され、帝国大学を頂点とした学校序列の成立が1886年(明治19年)に整備されたので、東大に入ってキャリア官僚になるというライフコースが明治後期から生まれ始めたためである。

存在と非在の境界

旧版250ページ。

プラトンが存在と非在の境界について言っていたのと同様の「混合」領域、それは社会的分類システム(青年か老人か、都会人か地方人か、金持か貧乏人か、ブルジョワプチブルか、等々)のもつ差別力にたいする挑戦であ るが、そうした領域を諸集団の周りに描きだす統計的境界の代わりに、差別的措置というその最も極端な形における人数制限は、これだけは別という形でのはっきりした境界線を置き換える。

プラトンイデア論の話。ここにプラトンの引用は不要ではないだろうか。余計にややこしいように思うのだが。このあたりの話が分かりやすいのは『パイドロス』。

上流クラブに属するには

旧版250ページ。

上流クラブはその同質性を守るために、入会志願者にたいして非常に厳しい手続きを課している。つまり申込書、推薦状、時には本来の意味での紹介状--すなわちすでに一定期間そのクラブの会員である紹介者の手になるもの--などの提出、メンバー全員による、あるいは入会選考委員会による選挙、入会金の払い込み--それも場合によっては非常に高額

ここで挙げられているのは、ブーローニュの森クラブ(クレー射撃を中心とするスポーツクラブ。一八六七年設立)などである。

あまり、こういう世界で生きていないので、身近な例が出せないのが残念である。挙がった例は、ゴルフ場(会員権)、スクールカーストアカデミーヒルズ、浜作のサロン、そしてClubhouseである。

アカデミーヒルズ

www.academyhills.com

現在ではシェアオフィスやサロンが果たしていた機能を担っていたのかもしれない。現在はお金を払えば入会できるので、かつてのような姿ではないのだろう。「ブーローニュの森クラブ」はお金があっても、入れるわけではなく、推薦人が必要で、いわゆる成金は入れないのである。

ゴルフ会員権

ゴルフ会員権はかつて、もしくは一部の特殊な所では、ブーローニュの森クラブ的なところもあるのだろうが、皆があこがれ、我も我もと金で買ったゴルフ会員権は、上流クラブとは程遠いものであったのだろう。フランスの理学部と文学部のようなものである。バブルの時代にゴルフ会員権と未公開株とメルトダウンと刷り込みがあるのは、人生ゲーム平成版のせいだ。

www.takaratomy.co.jp

このような状況はゴルフの生まれ故郷であるイギリスでも存在するものの、今世紀に入ってからは伝統あるウェントワースクラブのような所が中国企業に買われるという例も出ている。

ja.wikipedia.org

おそらく、中国に買われたゴルフクラブの価値は下落したであろう。一方で中国では私有財に制限があるため、良い買い物だったはずだ。

スクールカースト

「どなたを入会させるかは、お客様の御一存ですよ」とあるクラブの主宰者は言い、また別の一人は「二人の紹介者があれば誰でも入会できるクラブもありますし、二人の紹介者でだいたい誰でも入れるクラブもありますが、紹介者が二人あってもなかなか入会するのがむずかしいクラブもあります」と言う。しかも、すべてはその紹介者のもっている重みしだいなのだ。「普通は入会までに二年から三年待たなくてはなりませんが、重要なメンバーの紹介があれば待たなくて済みます」(会社部長、ブーローニュの森クラブ会員)

イケてるグループに属するには?的な話だと考えるとなんだか非常に身近で分かりやすい。

浜作のサロン

NHK BSプレミアムで放送されたこちらの番組の話。参加できるのは京都で有名な老舗の旦那衆たち。

www.youtube.com

活字で確認できるのはこちら。

www.zakzak.co.jp

著者は大野裕之で、とても意外なのだが、検索してみると、どうやら招かれたらしいのだ。

ameblo.jp

ameblo.jp

もう少し調べると、浜作が一般人向けのサロンをしていることがわかった。オンライン会員制サロン【クラブ・オン・浜作】 というらしい。

www.youtube.com

この動画でもチャップリンが訪れたことを推しているので、大野裕之を取り込んだのも「ああ、なるほど」といった感じはする。きっと、大野裕之が講師で来てチャップリンの話をするのだろう。
ちなみに、旦那衆が集まるサロンと、京都外の人を集めるサロンと、オンライン・サロンは別のであろう。私たちは頂点にある旦那衆のサロンには逆立ちしても行けそうにない。

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「本物の京都通」とは非常に興味深い言葉である。序列化と差異化を見事に表した言葉である。

余談だが、須賀洋介もそういうものを作っていた気がする。動いているのかは知らないが。

www.youtube.com

SUGALABOは紹介制なので選ばれた人しか行けないレストランという位置づけであった気がするが、状況が少し変わってきたのだろう。特にSUGALABO Vの方はキャバクラの同伴先になっているので、自分と関係がなくても、なんだかなぁという気がする。店側が選んだ客を集めたいという考えは分からないではない。

Clubhouse

紹介制であるところから連想したClubhouse。紹介という制度によって価値が生まれる例である。ちなみに、価値下落はandroid版が出てから決定的になったらしい。僕は参入していないので、知らないけれども。

余談だがgmailもかつては招待制であった。こちらは価値下落どころか社会インフラになっているので、紹介制はサービスが始まる時に価値を上げるものの、その価値を維持し続けられるかは、サービスの内容次第ということなのだろうか。

www.itmedia.co.jp

次回

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