井出草平の研究ノート

ブルデュー『ディスタンクシオン』輪読会第29夜 覚書

旧版276ページ、普及版295ページから。

フランスのカフェ

279ページ。

ブルジョワ的あるいはプチブル的カフェやレストランにおいては、各テーブルがたがいに切り離された独自の領分を構成している(だから椅子を借りたり塩入れを拝借する場合にはたがいに許可を求めなくてはならない)のだが、これとは逆に大衆的カフェは仲間の集まる場所であり(それは新しく入ってきた者が「やあみんな!」とか「皆さんこんにちわ」とか「よう諸君!」とか言うことで特徴づけられている)、誰もがそのなかに仲間として加わる。

括弧の中の原語は以下のとおり。

ce que marque le « Salut la compagnie ! » ou « Bonjour tout le monde » ou « Salut les potes ! » du nouvel entrant

こんな風景が今でもあるのだろうか。パリには何度か行ったことがあるが、住んだことがないのでわからないが、カフェでカフェ仲間と雑談するといった感じの風景は見たことがない。

日本語の会話部分に引っ張られ過ぎに気もするが、レーニントロツキーが出入りしていた頃のカフェ・ラ・ロトンドはそんな感じだったのかもしれない。

ja.wikipedia.org

ちなみに、フランスでも、やや地方に行くと、常連さんと定員、常連さん同士が話をしている風景は日常的なように思う。

階級ごとの支出

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282-3ページ。

食料消費の内訳がどうなっているかをもっと詳しく見てみれば、差異の構造をさらに正確につかむことができる。工業実業家・大商人はこの点で、自由業の人々と、ましてや教授とは大きく異なっている。つまり彼らは穀物をべースにした製品(とくに菓子類)やワイン、肉の缶詰、猟肉(ジビエ)などを重視し、どちらかといえばいわゆる肉類や果物、新鮮野菜などにはあまり支出しないという点で異なっているのである。教授層の場合その食費の内訳は事務労働者とほぼ同じ構造をしており、他のあらゆる職種よりもパン、乳製品、砂糖、ジャム、非アルコール飲料などに多くの支出をあて、ワインやアルコール飲料への支出は少なく、また肉類----特に羊肉や仔羊肉のような、なかでも最も高価なもの----や果物、新鮮野菜などの高価な産物への支出は、自由業の人々にくらべて明らかに少なくなっている。自由業について言えば、彼らは特に高価な産物、わけても肉類(これは食費の一八・三%を占める)、そしてそのなかでも最も高価なもの(仔牛、仔羊、羊)、また新鮮野菜や果物、魚類やエビ・カニ類、チーズ、アペリティフなどへの支出が大きいという点で、他からきわだっている。

つまり金があればあるほど消費される食物は豊かに(すなわち高価であると同時にカロリーも豊かに)なり、また重たくなってゆく(猟肉やフォワグラなど)。これとは逆に自由業や上級管理職の趣味は、大衆的趣味を重たいもの、脂っこいもの、下品なものへの嗜好として否定的にとらえ、自らは軽いもの、繊細なもの、洗練されたものへと向かってゆく。

最後に教授層は、経済資本よりも文化資本が豊かであり、それゆえあらゆる領域において消費を禁欲的にする傾向があるため、最小の経済コストで異国趣味(イタリア料理、中華料理など)や庶民性(田舎料理)へと向かう独自性を追求しようとする点で、金持ち(成金)およびその豪勢な食物に対立する。

まとめると、以下のようになる。

文化資本が高い人は、低カロリーな食物、非アルコール飲料、ジャムなどフレッシュな物を好む。
文化資本が低い人は、高カロリーな食物、脂が含まれる重いもの、肉類、アルコール飲料穀物などを好む。

今の感覚とかなり違う、というのが正直な感想である。

村井重樹さんが「食の実践と卓越化 : ブルデュー社会学の視座とその展開」という論文を書かれている。 koara.lib.keio.ac.jp

片岡栄美さん、村井重樹さん「食テイスト空間と社会空間の相同性」という研究報告もある。 researchmap.jp

併せて読む必要がありそうだ。

大商人

Le gros commerçantの翻訳として大商人が当てられているが、大商人というと孫正義さんみたいな感じの人を思い浮かべてしまう。彼の場合はLe Grand Marchandといった方がよいのではないだろうか。

www.larousse.fr

Le gros commerçantはやや大きい会社の経営であるとか、卸業などを指すと思われる。また、自由業professions libérales士業などを含めた専門職のことである。

kotobank.jp

日本語でも存在する言葉だが、フリーランスであったり、フリーターみたいな捉え方をされることが多いの注意が必要だ。

専業主婦はポトフ

完全に家事専業の主婦のことを、彼女は「ポトフ」だなどと言ったりする

ポトフにそんな意味があったのか、とやや驚いたところ。

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大衆料理のほうの最も代表的な例はポトフであり、これはグリルやローストとは対照的に安い肉を煮込んで作られるものであるから、技術よりもむしろ時間をかけることが必要な、より下位とみなされる調理法によるものである。この料理形式が女性の地位と男女間の分業を象徴するものである。

ポトフは散々な言われようである。

ja.wikipedia.org

ポトフpot-au-feuは火にかけた鍋という意味である。

日本人のほとんどの人が誤解をしていると思うのだが、フランスでのポトフは牛肉を使うことが多い。日本で家庭向けに紹介される場合には豚肉のレシピに変わっていることが多く、また、紹介している料理研究家も誤解をしていることが多い。

では、豚肉を使う場合には何というのか、というと「ポテpotée」という料理がある。こちらも鍋という意味なのでややこしい。

ja.wikipedia.org

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ポテは庶民的な料理でポトフはそれよりも上という感覚が個人的にあったのだが、ブルデューがポトフをこき下ろしているので、ポテはどうなることやら、といった感じだ。

見た目が「肉じゃがですね」という話になった。しかし、僕は大阪の出身なので、肉じゃがといえば、牛肉が入ったもので、関東では豚肉が入るので、思い浮かべるものが違った。

ポトフの文化表象

ちなみに、ポトフは文化表象として登場する。素朴な料理、家庭料理といった表象として登場するのがモーパッサン『La Parure』(1884年)。

3日分のテーブルクロスが敷かれた丸いテーブルの前に座って食事をしていると、夫が鍋の蓋を開けて「ああ、おいしいポトフだ!」と嬉しそうに言った。洗練されたディナー、輝く銀食器、おとぎ話の森の中で古代文字や奇妙な鳥が壁に描かれたタペストリーなどを思い浮かべた。

肉がはいっているのでポトフは高価な料理として描写されることもある。例えば、バルザック『ウジェニー・グランデ』(1833年)。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%87

階級によって好きな料理が異なる

285ページ。

最後に七種類の料理のリストから好きな料理二つを選んでもらったところ、農業従事者・生産労働者は、ジゴ(羊・仔牛の腿肉)を第一位にする点では他のすべての職種と同じであるが、ポトフについてはこれを選ぶ率がいちばん高い(農業従事者は四五%、生産労働者は三四%であり、これにたいして事務労働者は二八%、上級管理職は二〇%、そして小経営者では一九%となっている。また、アンドゥィエットを選ぶのはほとんど農業従事者だけと言ってもいいくらいで、一四%の人が選んでいるが、生産労働者・事務労働者・一般管理職では四%、上級管理職では三%、そして小経営者では〇%である)。また生産労働者・小経営者層ではコック・オ・ヴァンにも人気があるが(前者は五〇%、後者は四八%)、それはしゃれた店をめざす中級の小レストランではこれが典型的なメニューであり、したがってたぶんレストランへの「お出かけ」という感覚に結びついているせいであろう(ちなみに事務労働者では四二%、上級管理職では三九%、農業従事者では三七%となっている)。管理職・自由業・経営者層が比較的はっきり他の職層と区別されるとしても、それは彼らにとっては非常に選択の幅の小さいリストに示された料理のなかから、プチブル的料理の通常のならわしからみれば比較的「軽い」と同時に象徴的に有標でもある料理、そしてそこでは魚と肉(なかでも特にシュークルートやカスーレの豚肉)との対立が地方趣味的で観光的な色彩をはっきりともなって現われてくる料理、すなわちブイヤーベースを選ぶ者が多い(三一%で、これにたいして事務労働者は二二%、小経営者では一七%、生産労働者は一〇%、農業従事者は七%)といった違いによるにすぎない(補足資料XXXⅣ)

  • 農業従事者・生産労働者はジゴとポトフ
  • 農業従事者だけアンドゥィエットを選ぶ
  • 産労働者・小経営者層ではコック・オ・ヴァンが人気
  • プチブル的料理の通常のならわしからみれば比較的「軽い」料理
  • プチブルはブイヤーベースを選びがち  

料理の評価の変化

fr.wikipedia.org

現代のフランス料理のレストラン、特に高級店で、どの料理が採用されるかというとアンドゥィエットである。自家製のアンドゥィエットという形であれば、高級店でもメインにふさわしいと判断されるはずだ。アンドゥィエットをアレンジなしで作るとやや癖があるので、ブーダンの方がおそらく好まれるだろう。業従事者だけが好んでいたアンドゥィエットが高級店で出される可能性があるというのは、価値観が反転しているように思われる。

逆に、ジゴ、ポトフ、コック・オ・ヴァンが選ばれることはない。オシャレだと思われていたコック・オ・ヴァンは現在ではビストロ料理である。

ブイヤーベースが選ばれるのはやや大衆的な料理店か、海産物を全面に出したレストランだけだろう。

料理の世界でも流行があって、昔は一戦を張っていた料理が、現在は二番手やビストロ料理と認識されるということも起きうる。

アンドゥイエットのような料理が再評価されるには近年、シャルキュトリーの評価が非常に高いことが挙げられるだろう。また、シャルキュトリーで行う作業(ハムを作ったり、ソーセージ類を作ること)をミシュランを狙うような店では、自前で行うことも多くなった。

食物の4象限

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ポトフがやたらと低い、文化資本が高い方に冷凍食品が入っている、などの特徴がある。

「♀」のマークは女性を意味するのかと思ったのだが、原版をみると少し違う。

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ブルデューは図表をちゃんと説明しない癖があるので「よくわからない」ということになった。

ジャムとコンフィチュール

一般的なジャムは現在のフランスで文化資本が高いものとして認知されていないはずである。日本も同じである。

日本の場合、英語でジャムであればスーパーにも売っている商品となるが、フランス語でコンフィチュールというと高級店も販売できる商品になる。ジャムが自国のものではなかったため、原語を変えたマーケーティングが違う分、マーケティングの方針も明白である。

フランスでのコンフィチュールの再評価というとクリスティーヌ・フェルベールが有名だ。日本では伊勢丹での取り扱いがある。パティシエ、ショコラティエは日本でも使われるが、フェルベールはコンフィチュリエConfiturièreともいわれるようになっているようだ。レジオン・ドヌール勲章のシュバリエも受勲している。

fr.wikipedia.org

trip-s.world

クリスティーヌ・フェルベールの作っているコンフィチュールをみれば、私たちが日常的に知っているジャムではない、とほとんどの人が思うはずである。

冷凍食品

地位が大きく変わったと思われるのが冷凍食品である。

フランスと冷凍食品というとピカールが有名である。

www.picard-frozen.jp

日本ではイオンが展開している。

冷凍食品は電子レンジの普及と関係しており、1979年の当時は子レンジは高級家電であり、冷凍食品も高級なものだったはずである。コモディティ化によって、現在の冷凍食品の地位はかなり低くなったと言える。

階級的身体

288ページ。

たとえば庶民階級が、身体の形よりもその(男性的な)力のほうに関心が強く、安価であると同時に栄養のある食品を求める傾向があるのにたいし、自由業の人々はむしろ美味で健康によく、軽くて太らない食品のほうを好むといった違いが生じるのだ。趣味とは自然=本性と化した文化、すなわち身体化された文化であり、身体となった階級であって、階級的身体を形成するのに加担する。

わりと重要なところかも。

身体と階級

288ページ。

その場合いくつかのしかたでこれを表現するのだが、その第一に挙げられるのが、外見上身体がそなえている最も自然な側面、すなわちその目に見える構造上の大きさ(肉付き、身長、体重など)と形態(丸味があるか角ばっているか、硬ばっているか柔らかみがあるか、まっすぐであるか弩曲しているか、など)における表現であり、そこには身体にたいする関わりかたの全体、すなわち身体を扱い、手入れし、養い、維持する方式の全体が現われてくるのであって、それがハビトゥスの最も深い諸性向を明らかにするのである。

高い階級にふさわしい身体を作り上げるのに、食べ物の選択は重要である。穀物やカロリーの高い肉類ばかり食べていると、肥満体になるので、高い階級にふさわしい身体とは言えないわけだ。

散髪などを含めた身体の手入れ、服装などと共に、階級が視覚的に表れるものとして身体重要であると共に、それを作り出す食物の選択も重要となるのだろう。

次回

288ページ、普及版307ページから。