土浦28歳ひきこもり・両親姉惨殺

橘由歩,2005,
「事件レポート 虐殺された家族の肖像 「中津川一家5人殺し」と「土浦28歳ひきこもり・両親姉惨殺」」
『新潮45』:82-94.


この事件のルポ。


 ほどなく、家の中に足を踏み入れた捜査員たちは、あまりの凄惨さに息を呑む。その家で息をしていたのは、生後11ヶ月の男の子だけだった。酸鼻極まる、陰惨な血の海に横たわる3つの死体。玄関には頭部や顔面を滅茶苦茶に叩き割られた父・飯嶋一美(57)、床の間のある8畳の和室には頑や顔や腹に百ヶ所以上の切傷を負い、頭部を叩き割られた姉・石津幸江(31)、トイレ前の廊下には母・澄子(54)の刺殺体。母親以外は直視できないほど無残な姿だった。
 3人を殺害したのが通報者であり、この家の長男、飯嶋勝(当時28)だった。

 手弁当で結成された弁護団が見守る中、被告人席に座った青年は何を見るでもなく、生気なくうつむいたまま。その表情から感情は一切読み取れない。顔には不健康そうな吹き出物、痩せた身体つき、両腕の不自然なまでの色の白さが、長いひきこもり生活を物語っていた。
 すべての動作が、極端に緩慢だった。証言台の背中が、右に左にゆっくりと揺れる。台によりかからなければ、青年は立っていることすら困難に思えた。
「被告人の本籍は」
 しばらくの間をおいて、「茨城県土浦市」と間延びしたような口調で答えた後、言いよどむ。あまりに長い、無言の間に法廷はぎわめくも、青年は何も感じない。その場の空気を察することをいつから忘れてしまったのだろう。茶封筒の中から書類をのろのろと取り出し、起訴状に記載された文字から、ようやく本籍を答える。住所も同様だった。それほど社会生活から遠ざかっていたのだった。
 社会と一切関わらず、自室のみで長い間生きていれば、使わない機能は当然、退化する。身体機能も、社会や他者と関係を取り結ぶ機能も。目の前にいる飯嶋勝の姿は、その事実を示していた。

 飯嶋家は地元では名家として知られる。勝の父は市職員として要職を務め、昨年4月には土浦市立博物館の副館長に就任した。
 父親は職場でも地域でも、「穏やかないい人」と評される。しかし、〝いい人"は家庭内で別の顔を持っていた。勝は幼少時から、父の暴行を受けて育つ。暴力は妻にも容赦なく向けられた。
 友達もほとんどなく、おとなしい少年だった勝は、高校卒業後、専門学校に進むも中退。アルバイトもうまく行かず、19歳頃から自宅に引きこもる。
 勝の引きこもり生活は父を避け、父がいる時は自室から出ず、食事やトイレはいない時に済ますというものだった。
 25歳になった平成13年、勝は意を決し、父から独立しようと家を出る。しかし就職活動がうまく行かず、結局、半年で家に戻る。

「被告人の部屋は玄関や応接室に近く、ガラス戸を隔てた部屋の前を、家人が行き来する状況で引きこもっていました」
 勝は弁護人に、「自室がない」と語ったという。現に勝の6畳のスペースにあったのは、布団と椅子1脚とストーブのみ。雑誌や本すら皆無だった。勝は自分を守る〝巣"さえ、作れなかったのだ。
 

 年に1〜2回しか、外には出られなかったという引きこもり生活。彼にとって外=社会は、恐怖に満ちたものであったに違いない。なのに、社会の風から身を守る家の内部にあってさえ、勝は聖域すら作れず、社会からも父親からも二重に引きこもっていたのだった。
 同年4月から博物館勤務になった父が、家で過ごす時間が長くなったことで、勝の息苦しさは飛躍的に増す。
 将来に展望も見えず、働くどころか、外にすら出られない自分に絶望し、呻吟する毎日。出口を与えられることもなく、安全な場所を奪われたまま、勝は追いつめられていく。
 勝の身を案じた母はこの時期、保健所に相談に出向いている。しかし、これが夫の逆鱗に触れる。
 この期に及んでも、大事なのは体面だった。息子のため腹をくくって第三者に協力を求めるのではなく、外面を気にし、まともに歩くことも困難な息子に、父は「働け」と迫る。
 平成16年6月、台所にいた勝は、昼食をとるため帰宅した父と偶然、鉢合わせになる。父は勝に怒鳴り散らす。
「いい若者が昼間から働きもしないで、いい気なもんだな。とっとと働けよ」
 暴力ですべてを思い通りにする、汚いヤツが何を言う。次は、殺してやる。「死ぬまで待とう」と考えていた勝に、初めて殺意が芽生えた。
 ほどなく勝は、勇気を出して外出する。父を殺す凶器として、量販店で両口玄能と八角玄能、出刃包丁など包丁2本を購入するのだ。邪魔をするなら、母さんと姉を殺すことになってもかまわない。