井出草平の研究ノート

社会問題の構築


佐藤俊樹氏によるコメント。

いいかえれば、言説分析的であるかどうかは、それが接続をかけている言説群で通常とられている「誰か」からどの程度引き剥がせているかどうかだと私は考えています。それはさらにいいかえると、言説分析的であるかどうかが「抵抗」によって測られるということですが。
http://d.hatena.ne.jp/contractio/comment?date=20060524#c


良いコメントだ。


社会学の研究を社会に対する社会的行為なのだと捉えない学徒は多い。学問の客観性を根拠に責任の罷免を望んでいるのだろうが、保証されるのは「価値からの自由」に過ぎない。「価値への自由」を手に入れるためには、研究は社会的行為であるということ、そしてその社会的行為によって、社会問題の構築がなされ得る、ということを理解(もしくは自身の行為の分析)をしておく必要があろう。


という感じで、次回逸脱研究会のテキストのキツセ=スペクターにひっぱっる形でメモ。


社会問題の構築―ラベリング理論をこえて

社会問題の構築―ラベリング理論をこえて


キツセは日系二世なのだとか。