アスペルガーが記述したアスペルガー症候群の暴力性

アスペルガー症候群の最初の報告者であるハンス・アスペルガー自身はアスペルガー症候群のネガティブな面かなり詳細に記述している。このエントリではそこに焦点を当ててみたい。


自閉症とアスペルガー症候群

自閉症とアスペルガー症候群


アスペルガーアスペルガー症候群の子どもたちが学校でどのように生活しているかという点まで詳細に記述していて、そのなかでもいじめの記述はすべてのケースで出てくる。

自閉症の子供は、仲間と違っていて目立つというだけで、級友からのいじめや仲間はずれにあうことが多いことにも触れました。彼らの態度、話し方、そして何よりも異様な振る舞いが多いことが、嘲笑を呼び起こします。子供は概してそれに気づきやすく、性格のおかしさが目立つのを極めて正確に嘲りの標的としています。(pp157)


奇異であるからいじめに遭うというのは近年でもよく言われていることである。しかし、アスペルガーはそれだけがいじめの原因だとは思っていない。アスペルガーアスペルガー症候群の子どもたちが暴力的であるということを執拗に記述しているのだ。


フリッツのケース

彼はまた、この夕イプの子供の特質である、悪意ある行為を働いていました。放心した目つきでぼんやりそこに座っている、その同じ少年が、とつぜん目を輝かせて飛び出し、どうにもならない素速さで何か悪戯をしでかしているのです。テーブル上のものをすべて払い除けたり、ほかの子供を殴りつけたりもします。もちろん、いつも自分より小さく弱い子供を相手に選びますから、その子たちからはとても怖がられます。電燈を点けたり、水を出したり、母親や連れの大人の元から急にいなくなり、やっとのことで捕まることもあるでしょう。おまけに水たまりに飛び込み、頭から足先までずぶ濡れになっているかもしれません。こうした衝動的行為は、何の前触れもなしに起きるので、その監督や統制を図ることは極めて困難でした。こうした状況のたびごとに必ず起きたのは、最悪のこと、最も困ること、最も危険なことでした。少年は、それに対する特殊感覚を身につけていると思え、それでいて、周りの世界にはほとんど何の注意も払っていないかのように見えたのでした! こうした子供たちの悪意ある行動が、すべて「計算づく」と思えることが多いのは不思議ではないのです。(pp99)


アスペルガーアスペルガー症候群の特質として「悪意ある行為」を上げている。また、それは「「計算づく」と思えることが多い」と述べている。


ハーローのケース

それに輪をかけて悪いのは、行動上の問題でした。言われたことをすることはほとんどなく、あまりに生意気な口答えをするので、先生はクラスの中で面目を失わないために、彼に要求することを止めてしまいました。ハ一口ーは、一方で自分に期待されていることはせずに、他方では自分のしたい通りのことを結果を考えずに行いました。授業中に席を離れて、床をよつばいで這い回りました。学校からの紹介の主な理由のひとつは、争いを起こす粗暴な性癖でした。些細なことで分別のない怒りを爆発させ、ほかの子供に、歯を噛み鳴らし、やみくもに殴るなどの攻撃をしかけました。彼はけんかが巧みでなかっただけに、これは危険でした。けんかが巧みな子供は、どこまでならやれるかをよく心得ていて動きを加減できるので、大事に至ることはほとんどありません。ハーローは、けんか上手どころではなく、ひどく不器用で、動きのコントロールができず、どこまでやるかも考えないために、人を傷つけることが多かったと伝えられます。彼はからかいに対しては極度に敏感だったと言われ、それでも、色々な面で奇妙でコミカルな行動は、すぐにからかいを誘発しました。(pp107-8)


些細なことで暴力性を発現させること、コントロールが効かない暴力性であることから「危険」であると書かれている。威嚇のために殴ったり、ケガをしないように叩いたりという社会性を帯びた暴力ではなく、想像力の障害・社会性の障害を抱えるため、相手を徹底的に痛めつけるような暴力がふるわれるということであろう。


エルンストのケース

 ほかの子供と仲良くすることは、まったくできませんでした。すぐにけんかを始めるため、彼を連れて公園へは行けませんでした。ほかの子供を誰彼の別なく、殴るか悪口を浴びせるのは目に見えていました。学校に入ると、これがさらに問題となりました。教室は、蜂の巣をつついたような騒ぎとなり、彼も容赦なくいじめられました。それでも、ほかの子供から遠ざかっているのではなく、むしろトラブル・メーカーの役割を果たしました。例えば、ほかの子供をつねる、くすぐる、ペンで突くなどのことをしました。空想的な話をするのが大好きで、それにはいつも自分がヒーローとして登場しました。母親には、自分が皆の前でどんなに先生に誉められたか、またそれに類する話をよくしました。(pp123)

 病棟で過ごした最後の最後のときまで、彼は一人のアウトサイダーのままに留まり、ほかの子供たちの問を往ったり来たりするだけで、遊びにうまく入れたことは全然ありませんでした。よくても、そのうちの誰かにくってかかるか、いきなり猛烈なけんかを始めるかで、それには明白な理由が見当らないか、さもなければ、誰かにからかわれたせいでした。当然ながら、彼はいじめの標的としては完壁であり、実際に、彼のあらゆる行為は、いじめを誘発する形をとっていました。彼はかなりの意地悪少年であり、ほかの子供をつねったり、ひそかに押したり、遊びをぶち壊したりしました。自分より小さな子供や教師がそれに慌てふためくと、彼をよけいに悪戯へと駆り立てるだけでした。(pp126)


アスペルガーは「彼のあらゆる行為は、いじめを誘発する形をとっていました」という形で記述している。アスペルガー症候群の子どもたちはイジメに良く遭うといわれるが、アスペルガーは本人がそれを「誘発している」と考えているのである。

 サディズム的特性もしばしば報告されます。一例として、強い自閉的特徴をもつ七歳の男児の言葉を挙げます。「母さん、僕はいつかナイフをもって、母さんの心臓にそれを突き刺したら、血が吹き出て、すごく興奮するよね」「もしも僕がオオカミだったらいいのにな。そうしたら、ヒツジや人の肉を食いちぎって、血が流れ出るね」。以前に母親が指を切ったときは、「なんでもっと血が出ない? 血よ、流れろ!」。あるとき自分が怪我をしたときにほ興奮しきっていたとされ、傷を診た医者から、子供の精神状態が極めておかしいと指摘されたほどでした。その一方、この少年はひどく気弱でした。自分が椅子から転げ落ちないかと心配したり、道路を高速で走る車をひどく怖がりました。また、卑猥な言葉を使う傾向も少なくなく、こうした子供はそれ以外は堅苦しい言葉遣いが多いのと奇妙な対照をなすこともあります。(pp159)


おそらくこれは想像力の障害が原因のものである。普通は人が死んだり、傷ついて血が流れることに嫌悪感を覚える。これは、自分と同じような自我も他者も持っているということから来ている。自分がケガをしたら自分は痛い思いをするし、同じような自我を持った他者ならばきっと痛いと思うはずで、それは嫌だなということである。他我認識問題といっているものであるが、アスペルガー症候群ではこの想像力が欠損する場合がある。


従って、この少年は悪意があって「母さん、僕はいつかナイフをもって、母さんの心臓にそれを突き刺したら、血が吹き出て、すごく興奮するよね」と言っているわけではないのである。悪意がないから無害かというと、そうではなく、悪意のなくこのような行為することも可能なので、そこがやっかいなのである。


アスペルガー症候群脳損傷による精神遅滞を比較した所では次のように述べている。

どちらの臨床グループにも、特徴的な本能的攻撃があり、つねる、噛みつく、ひっかくなどがしきりに見られます。


アスペルガーアスペルガー症候群には「本能的な攻撃がある」と述べている。フリッツのケースのところでは「悪意ある行為を働く」ことを「特質」と表現している。


エルンストのケースでは、「ほかの子供を誰彼の別なく、殴るか悪口を浴びせる」と記述されている。そのような行動が引き金となりイジメの対象になっていたようである。現代に書かれた啓蒙書などをみると、アスペルガー症候群はイジメの被害者であるというような記述がされて、立ち振る舞いが奇異だから、もしくは、周りが悪者であるかのように書かれている。いじめは被害者に原因があるから被害者が悪いと即断するのは慎むべきだが、アスペルガーも記述しているように、些細なことで殴り飛ばしたり、悪口雑言を浴びせられたりすれば、仕返ししようというのが普通の人間の行動ではないかと思うのだ。周りの子たちが被害を受けたと認識した時点で、周りはいじめを始めるはずであ。それに対して、アスペルガー症候群の子どもは暴力やいたずらでやり返し、周りはさらに強力な仕返しをするという悪循環に陥る。この悪循環をどこかの時点で止める必要がある。


選択肢としては、(1)アスペルガー症候群の子どもの暴力やいたずらに周りが「この子は障害があるから仕方ない」と我慢するか、(2)最初の段階でアスペルガー症候群の子どもの暴力やいたずらを先んじて押さえるかである。2の選択肢が当然正しい。ほとんどの啓蒙書ではアスペルガー症候群の子どもたちはいじめに遭いやすく、被害者であるというよう記述がされていることが多い。しかし、このような書き方では、いじめの前に本人が何かしているのではないかということに全く注視できない。


アスペルガー症候群の暴力性を書かない啓蒙書や、アスペルガー症候群の子どもたちはイジメの被害者であるとしか書かない啓蒙書は実用的ではない。情報を都合良く隠蔽することは、啓蒙とは言わないし、臨床的に有害である。「知らされない情報」によって、対応を間違い、失敗してしまうこともあるからだ。ネガティブな面も含めて療育や特別支援機養育を行って行くのが臨床的には実効的であるし、正しい方法ではないだろうか。