井出草平の研究ノート

サスキア・サッセン


グローバル空間の政治経済学―都市・移民・情報化

グローバル空間の政治経済学―都市・移民・情報化


読書会で読む。ベックの『グローバル化の社会学―グローバリズムの誤謬 グローバル化への応答』に続き、グローバル関係2冊目。


ベックは「概念」にこだわり概念整理を中心に記述していたためか、あまり興味深いと感じられなかったが、サッセンの方はおもしろく読めた。


以下は日本出入国の現状。

特定国籍のグループに、不法就労を目的として短期ビザで入国する者の数の増大がみられる。たとえば、一九八七年の台湾人入国者は三六万人であったが、出国者は三一万四〇〇〇人にすぎなかった。韓国人の場合、三六万人の入国者にたいして、出国者は一四万九三〇〇人、フィリピン人でも入国者八万五三〇〇人にたいして、出国者は五万七六〇〇人にすぎない。フィリピンからの入国者数は、一九八三年の四万八〇〇〇人から九〇年の一〇万八三〇〇人へと二倍以上に増えている。米国の経験が何らかの指針となるとすれば、日本でも、ますます多くの「旅行者」や「滞在者」が、観光目的ではなく有利な雇用先を見つけるために日本に入国することになると予想できる。


「不法」に日本に滞在している外国人が増えているらしい。
しかし、街を歩いていてあまり外国人に会うことが少ない。これは環状線の外に住んでいるかららしい。

こうした連関が超国家的な都市システムを生み出しているのかどうかは明らかではない。これは理論および概念化の問題でもある。社会科学の大半が最終的な分析単位を国民国家においているため、過程やシステムを超国家的なものとして概念化すれば必ず大きな論争を引き起こすことになる。世界都市ないしグローバル都市にかんする文献の多くにおいてさえ、必ずしも超国家的な都市システムが実在するとは論じられていない。かろうじてグローバル都市は超国家的なレベルで中枢的な場としての機能を果たすと論じるものもある。だがそれでも、グローバル都市間の接合の問題が未解決のまま残されている。グローバル都市はグローバル・ビジネスにおいて相互に競い合っていると論じるだけならば、グローバル都市はグローバルな都市システムを構成していないことになる。この場合、いくつかのグローバル都市を研究することは比較研究という伝統的な姿勢の現れなのである。


社会科学の分析概念が「国民国家」を単位にしているということ、超国家的な都市システムが実在することがかならずしも仮定されてはいないという話。


略歴

アルゼンチン生まれ。ブエノスアイレス国立大学、イタリア・ローマ大学卒業。米国には当初、観光ビザで入国、未登録移民として清掃の仕事に就く。米国インディアナ州ノートルダム大学で社会学修士、同博士、経済学博士号を取得。フランス留学中にフーコードゥルーズガタリハイデガー等の哲学を学ぶ。ハーヴァード大学ニューヨーク市立大学コロンビア大学を経て、現在シカゴ大学社会学教授。おもな邦訳に、『労働と資本の国際移動』(森田桐郎ほか訳、岩波書店、一九九二年)、『グローバリゼーションの時代』(伊像谷登士翁訳、平凡社、一九九九年)がある。


ちなみにサッセンの夫はリチャード・セネット。