願興寺礼子(中部大学人文学部)『女子のひきこもりに関する研究』 http://psy.isc.chubu.ac.jp/colloquium/no5_gankouji/colloquium.html
via 上山和樹氏
社会学として「ひきこもり」の理念型を「男性」と立ててるため、基本的には普段ここで書くこととは違う話。
舘の論文が引用されている。
舘(2000)は、女子青年に多くみられる摂食障害におけるひきこもりを、分離不安に対する防衛の表現としてとらえている。
ただし、舘の言うように、そこには幼児期の愛情剥奪体験といった外傷体験に起因する葛藤や、母親の放任傾向が顕著であるかと言えば、この点は難しい。少なくとも、ここに掲げた事例については、幼児期の外傷や母親の放任が問題となることは少なかった。
個人的には、男性の「ひきこもり」と女性の「摂食障害」には語る言葉を持っているが、女性の「ひきこもり」に関しては非常に難しい。舘か斎藤かというのはひとまず保留。
ひきこもりを性差という視点で取り扱った研究は、鈴木・小此木(2000)の研究以外、ほとんどみられていない。
願興寺論文では上記のような喜寿があるが、1977年の段階で笠原嘉が『青年期―精神病理学から (中公新書 (463))』(1977)の中で「ひきこもり」と性差の話をしている。登場する言葉は「ひきこもり」ではなく「対人恐怖」というものだが、笠原は対人恐怖と拒食症をアナロジカルに対置して記述をしている。
願興寺論文は大筋では、分離-個体化の話になっている。フロイト的にはそう記述できるということなのだろう。
それはおそらくそうなのだろうが、社会学にとってはインプリケーションのない話。