自由こそ治療だ

自由こそ治療だ―イタリア精神病院解体のレポート

自由こそ治療だ―イタリア精神病院解体のレポート


日本の精神病棟もどうかとは思うが、イタリアも大変そうだと思った。

バザーリアのグループは、人を格子や閉ざされた扉の中に押し込めるのを正当化しうるよく言われる精神状態などないという見解をもっているからである。時折の精神病者の暴力はまさに原因ではなく、結果である、とトリエステでは主張される。精神的偏奇の表硯ではなく、制度によって抑圧された論理的反応である。つまり服従に対する、自由剥奪に対する、生を価値あるものにしているものすべてを組織的に簒奪することに対する反応である。この暴力は従って精神症状ではなく、トリエステ精神科医が「精神病院病」と呼んでいる体制の表現なのだ。

やはり精神症状としての暴力性はあると言わざるを得ないことは頻繁にあるのではないだろうか。もちろん自由を奪われることによって暴力性が生まれることもあるだろうけど、バザーリアの解釈は強引を通り越して無茶苦茶だ。


他の箇所で、強制入院ができず、任意入院しかできないという説明があった。治療が必要であるにもかかわらず、治療を拒まれたり、緊張型の暴力で手も足も出ないときにはどうするのだろう。

バザーリア
患者は皆貧困であることに私は気がついた。そこで私たちはこの病気と貧困とを関連づけようとしました。そこで精神病とは貧困者の病気であるのかと自問した。いや、やはりそうではなかった。金持ちにもいるからでした。だが金持ちのそれは貧しい人のそれとはちょっと違いました。あるいは病気は違わないにしても、少なくともそのあり方は違います。それはなお非常に初歩的な論証でしたが、はじまりにすぎません。つまり私たちはさらに次のよういいました。これらの人々は貧しいばかりでなく、権利を全くもっていない。苦悩の問題と同様、社会からの排除の問題もある。そしてこの排除過程は施設網、つまり国家がこれらの人々を管理しようとする上部構造によって管理されているのだ、と。そこで私たちは学んできたものすべてが間違っているのに違いないと、考えはじめました。なぜなら、精神病院とは悩める人を治すために作られた施設ではなく、「狂人」と呼ばれた人々を保護しておく施設であるからです。そこで科学とは何か、すなわちこのような場合に科学は何のために使用されるか、という問題が生じてくるのです。

シュミット
 すべてはマルクスとどんな関連がありますか。

バザーリア
マルクスは労働者階級の辺縁化と抑圧との関係に関する討論を通じて関係してきます。もちろん私たちはある日突然、マルクスの中にすでに全部書いてあるじゃないか、などというつもりはないのです。ただ私たちは次第にマルクス主義は実証王義よりもずっとよく現実を正しく見つめる思考方法を与えるのだ、とわかってきた。政治科学が私たちの技術的発展過程を理解する可能性を与えてくれる、ということがわかってきたのです。


日本語としてよく分からないところは多々あるが、マルクスっぽい(グラムシっぽい)ことを考える人なんだなとわかる。要するに思想に合わせて実態の矛盾を見ないという人なのだということだ。そう考えると「自由を奪われることによって暴力性が生まれる」という考え方が生まれるのも納得のいくところだ。