Gerhard Rösl, Regional currencies in Germany – local competition for the Euro?, Deutsche Bundesbank Discussion Paper Series 1: Economic Studies No 43/2006 http://www.bundesbank.de/download/volkswirtschaft/dkp/2006/200643dkp_en.pdf (PDF) via http://cruel.org/other/rumors2007_2.html#item2007091001
Given the aggregate volume of the regional currencies in circulation in Germany at around €200,000, the current economic welfare losses arising from the issuance of Schwundgeld are, however, negligibly small.
これが結語。少し切り捨てる感が漂うが、経済学的には正当なものだと思う。
地域通貨の本はうちにはあんまり無いが、大沼安史氏の訳した本(ISBN:4880233420)があったように思う。大沼安史氏というとチャータースクールの紹介をした人でもあるので、その関係でうちにもある。大沼安史氏のことをひとまず横に置いて、地域通貨とチャータースクールという2つのものを結びつけるものがあるとしたら、それは何か?ということを考えてみると(あんまり深く考えたわけではないが)、欧米に根付くコミュニタリアニズムの伝統なのではないかとふと思った。とすると、地域貨幣を経済学的に考えるよりも、社会学的に問題構成をした方が得るものは大きいのだろう。
あと、一つ気になったのは、現在の資本主義が問題だと考える人たちが「バンコール」などに飛びつかずに、「地域」通貨に群がるのは興味深い現象である。バンコールの実現に向けての運動の方が意義があるのではないかと思うのだが、やはりそこは「地域」のようである。やれることからコツコツと、というリサイクル推進運動と同じようなレベルで出来るという点で地域通貨の方が魅惑的なのもあるだろう。それに、バンコールの実現は日常的な努力では出来そうにない。加えて考えられるのは、地域貨幣運動の動機がよく言われるような「お金」というものに矛盾があるあったり、資本主義に矛盾があったりすると言うようなものではないということである。そのようなものに矛盾を感じるならば、貿易障壁の改善に努めたり、税制改革に励んだりする方が合理的である(あくまでも経済学的にだが)。そういうものに目もくれず、バンコールにも目をくれず、地域貨幣にコミットするのは、「地域」というものが惹きつける「何か」があるのではないだろうか。
とするなら、コミュニタリアニズムの伝統とは違った伝統を持つ日本で、地域通貨を普及させようというのは非常に難しいのかもしれない。チャータースクールというものの普及が非常に難しかったように。