井出草平の研究ノート

エリアス『文明化の過程』 Part.3-1

中世を通じて、貴族、教会、諸侯が土地の支配を巡って争い続けた。12〜13世紀には、特権を持つ都市住民(ブルジョワジー)もこの争いに加わった。これらの勢力の闘争の結果、最終的に各国で一人の支配者(王や領主)が絶対的な権力を握るようになり、封建制から絶対主義への移行が見られた。

宮廷社会と文明化

宮廷社会は文明化の中心的な役割を果たした。特にフランスの宮廷は他のヨーロッパ諸国に影響を与え、共通の礼儀作法や言語、文化が形成された。宮廷のエチケットとパリの儀式を取り入れることで、各国の支配者はその威厳を示し、社会のヒエラルキーを視覚化し、貴族自身に彼らの依存を意識させた。この過程で、宮廷文化が洗練され、社会全体に広がった。

宮廷文化の影響

宮廷は文化や礼儀のモデルとなり、フランスの宮廷文化が他のヨーロッパ諸国に広がった。貴族や上流階級の間で共通の礼儀作法や言語が形成され、これが「良い社会(la société polie)」として知られるようになった。フランスの宮廷社会は、特にパリを中心として、ヨーロッパ全体に影響を与え、貴族や上流階級の標準を設定した。

経済的・軍事的変化と文明化

貨幣経済の拡大により、中央権力の財政力が増し、これが軍事力の増強につながった。中央権力は常備軍を維持することで、封建領主に依存しない独自の軍事力を持つようになった。また、火器の発展により、歩兵が騎士よりも重要になり、封建貴族の軍事的独占が崩れた。これにより、社会の構造が変わり、礼儀や行動の「文明化」が進んだ。

中央集権化と社会の変化

封建貴族は経済的に困窮し、一部は盗賊や傭兵となり、他の者は王や領主のサービスに従事するようになった。貴族とブルジョワジーの間の緊張が絶対主義の中央集権を促進し、これがさらなる社会の変化と文明化をもたらした。

封建化の動態

封建化は自然発生的なものであり、個々の意思や革命によるものではなく、社会全体の変化の一部として捉えられる。封建化の過程で、礼儀や行動の規範が発展し、社会の「文明化」が進んだ。

人口増加と社会変動

人口の増加は社会構造に大きな影響を与え、土地の不足と人口圧が顕著になった。これにより、新しい土地を求める動きが活発化し、内部開拓や十字軍遠征などの外部への拡張運動につながった。

十字軍の社会的背景

人口増加と土地不足により、ノルマン騎士たちは南イタリアや他の地域で新たな土地を求めるようになり、これが十字軍遠征の一因となった。これにより、新たな土地と富を求める動きが広がり、文明化の過程がさらに進展した。

火器の発展と文明化の進展

封建時代の軍事構造と騎士の役割

封建時代において、軍事力の中心は騎士であった。騎士は装甲をまとい、馬に乗り、槍や剣を使って戦う専門の戦士階級であった。彼らは広大な土地を所有し、その土地からの収入で武具や馬、従者を維持していた。封建領主は騎士を召集し、彼らの軍事力を基盤に自らの領地を防衛し、時には他の領地を攻撃することができた。騎士の軍事的独占は、封建貴族の権力の源泉であり、社会のヒエラルキーを維持する重要な要素であった。

火器の登場と軍事革命

15世紀から16世紀にかけて、火器(火縄銃や大砲)の発展により、戦争の様相が劇的に変わった。火器は、以下の点で騎士の軍事的優位性を崩した。

  1. 火縄銃の普及: 火縄銃は比較的短期間の訓練で使用可能であり、大規模な歩兵隊が編成できるようになった。これにより、騎士の高度な戦闘技術や重装備に依存しない新しい形の軍隊が形成された。
  2. 大砲の威力: 大砲は城壁や防御施設を破壊する力を持ち、騎士が防衛していた城塞の有効性を低下させた。これにより、攻城戦の戦術が変化し、騎士の役割が相対的に減少した。
  3. 戦術の変化: 火器の普及に伴い、陣形や戦術も変化した。火器を装備した歩兵隊が前線で重要な役割を果たすようになり、騎士が戦場で果たす役割は次第に補助的なものとなっていった。

軍事的変化が社会に与えた影響

火器の発展とそれに伴う軍事革命は、封建社会の構造に深い影響を与えた。

  1. 封建貴族の衰退: 騎士を中心とした封建領主の軍事的独占が崩れたことで、封建貴族の政治的・軍事的影響力が低下した。これにより、中央集権化が進み、王権や国家の力が強化された。
  2. 常備軍の登場: 火器を装備した歩兵隊や砲兵隊の編成が進み、常備軍の制度が確立された。これにより、戦争はより組織的かつ計画的に行われるようになり、国家の統制力が増した。

礼儀と行動の「文明化」

軍事構造の変化は、社会全体の文明化にも寄与した。

  1. 戦争の規範化: 常備軍の登場と火器の普及により、戦争はより規範的かつ組織的に行われるようになった。これにより、戦闘における礼儀や規律が重視されるようになった。
  2. 宮廷文化の発展: 封建貴族の力が減少し、王権が強化される中で、宮廷文化が発展した。宮廷では、洗練された礼儀作法や行動規範が重視され、これが「良い社会(la société polie)」として広がった。
  3. 社会全体の礼儀の普及: 宮廷文化の影響を受け、貴族や上流階級のみならず、広範な社会階層にも礼儀作法や洗練された行動が浸透していった。これにより、社会全体がより「文明化」された。

フーコーの規律訓練の議論との関連

フーコーの議論

  1. 規律と監視: 規律は個人を監視し、その行動を細かく記録し、評価することで成り立つ。これにより、個人の行動は絶えず制御され、標準化される。
  2. 規則と手続き: 規律は厳密な規則と手続きによって支えられており、これにより行動の一貫性と効率が保証される。
  3. 身体の訓練: 規律は身体の訓練を通じて行動を制御し、効率的な動きを実現する。これは軍隊における行進や訓練、工場における作業手順などに見られる。

エリアスの常備軍と火器の普及による戦争の規範化

  1. 組織的な訓練と規律: 常備軍では兵士が厳格な訓練を受け、規律に従うことが求められた。訓練プログラムは標準化され、兵士の行動は厳密に制御された。
  2. 効率と一貫性: 火器の使用には一定の技術と手順が必要であり、兵士はこれを習得するために訓練を受けた。これにより、戦闘がより規範的かつ組織的に行われるようになった。
  3. 監視と評価: 軍隊では、兵士の行動が常に監視され、評価された。これにより、兵士は規律を守り、期待される行動を取ることが求められた。