井出草平の研究ノート

エリアス『文明化の過程』 Part.3-2

歴史や王朝の成り立ちなどは省いて、礼儀や近代化あたりをまとめた。

礼儀や文明化・文化

宮廷社会の影響と礼儀作法

宮廷社会は文明化の中心として機能し、礼儀作法や行動規範が社会全体に広がった。特にフランスの宮廷は、ヨーロッパ全体に強い影響を与え、他国の貴族や上流階級がフランスの礼儀作法を採用することで、社会的な洗練が進んだ。具体例として、フランスの宮廷では、貴族たちは洗練されたフランス語を使用し、優雅な舞踏会や晩餐会での礼儀が厳格に守られていた。

礼儀作法の具体例

宮廷における礼儀作法として、女性に対する礼儀が厳格に定められていた。例えば、女性が隣に座るように求めた場合、そのドレスに触れないようにし、あまり近づきすぎないようにすることが求められた。また、食事のマナーとしては、貴族はナイフとフォークを正しく使い、食事中の会話も上品で洗練されたものに限られていた。

人の欲望とその制御

欲望の統制と社会秩序

封建社会において、個人の欲望や感情を統制することは、社会秩序を維持するために不可欠であった。特に、封建領主や騎士は自らの行動や欲望を抑制し、社会的規範に従うことが求められた。具体的には、騎士は戦場での勇敢さと共に、宮廷での礼儀正しさを兼ね備えることが理想とされた。また、騎士道の一環として、女性や弱者を守るという倫理観が強調され、これが欲望の制御に繋がった。

近代化への道筋

中央集権化と国家の形成

欲望や感情の統制は、中央集権化を促進し、国家の形成に寄与した。封建領主の力が弱まり、王権が強化される中で、共通の礼儀作法や行動規範が広まり、中央集権的な国家体制が強化された。具体例として、フランスのルイ14世の治世では、ヴェルサイユ宮殿を中心に絶対王政が確立され、貴族たちは王の前で礼儀を守り、王権の象徴としての宮廷文化を支えた。

経済活動と社会構造の変化

貨幣経済の発展により、中央権力の財政力が増大し、軍事力の強化が進んだ。これにより、封建領主の軍事的独占が崩れ、常備軍の制度が確立された。常備軍の登場は、戦争がより規範的かつ組織的に行われるようになり、社会全体の秩序が強化された。例えば、プロイセンではフリードリヒ大王が常備軍を整備し、国家の軍事力を強化したことで、封建領主の影響力が減少し、中央集権化が進んだ。

文化の普及と教育

宮廷文化における礼儀作法や行動規範は、教育や文化活動を通じて広まり、社会全体の教養が向上した。これにより、知識と文化の普及が進み、社会全体の文明化が促進された。具体例として、啓蒙時代には宮廷文化が知識人や市民階級にも浸透し、サロンや文学サークルが発展した。これにより、教育や知識の共有が進み、近代社会の基盤が築かれた。

騎士道の倫理観・女性・弱者の保護

騎士階級の社会構造と行動規範

騎士は封建社会の中で特権階級に属し、その行動規範は他の階級に影響を与えるものであった。初期の騎士は、主に戦闘に従事し、その力を示すことで権力を維持した。しかし、宮廷社会が発展するにつれて、騎士たちの行動規範も洗練されていった 。

宮廷文化と女性の役割

宮廷では、女性が文化的および社会的な中心的役割を果たし、これが騎士道の倫理観に大きな影響を与えた。特に高貴な女性は、知識と教養を身につけ、宮廷生活における中心的な存在となった。これは、騎士たちが女性に対する態度や行動を見直すきっかけとなり、礼儀作法や尊敬の念が強調された 。

騎士道の発展と女性・弱者の保護

宮廷社会の発展とともに、騎士道は単なる戦闘技術だけでなく、道徳的な規範としても発展した。騎士は女性や弱者を守ることを重要な義務とし、これが騎士道の中心的な倫理観となった。具体的には、女性に対する暴力を避け、尊敬の念を持って接することが求められた 。

騎士道と文学

中世の騎士道は、文学にも大きな影響を与えた。特にミンネザング(Minnesang)やトルバドゥール(Troubadour)による詩は、騎士道の倫理観を反映し、女性に対する尊敬と愛をテーマにした作品が多く作られた。これらの文学作品は、騎士道の理想を広める一方で、社会全体における女性の地位向上にも寄与した 。