今回はパート1の要約。ドイツでは文明よりも文化が重要視されたという話。
ドイツにおいては「Zivilisation」は表面的な人間の外見や存在の一部に過ぎない。ドイツ人が誇りに思うのは「Kultur」であり、これは知的、芸術的、宗教的な事象を指す概念である。
1. 歴史的背景
- 三十年戦争後のドイツは経済的に荒廃し、人口も減少した。16世紀には高度に発展していた外国貿易も破壊され、大商家の莫大な財産も失われた。結果として、地方の需要を満たすことに専念する小都市のブルジョワ階級が残された。
2. 中産階級の経済状況と文化的影響
- ドイツの中産階級は、フランスやイギリスに比べて貧しかったため、文学や芸術に多くの資金を費やす余裕がなかった。
3. 知識人層の自己表現と文化重視
- ドイツの中産階級知識人層は、貴族社会と対立しながらも、政治的活動には参加できず、主に文学や学問を通じて自己表現を行った。彼らの自己正当化は経済や政治から離れた純粋に精神的な領域にあり、教育(Bildung)や文化(Kultur)が重要視された。
4. 文学運動と社会変革
- ドイツの文学運動は政治運動ではなく、社会変革の表現であった。中産階級の知識人は、貴族社会の表面的な礼儀や形式を批判し、内面の深さや感情の豊かさを重視した。彼らの文学作品には、貴族社会と対立するテーマが多く取り上げられ、特にゲーテの『若きウェルテルの悩み』やシラーの『群盗』などが典型的である。
5. 貴族社会への批判と文化の対置
- ドイツの中産階級知識人は、フランスモデルの宮廷文化を模倣する貴族社会に対して批判的であった。彼らは貴族の外面的な礼儀作法や社交的な態度を「表面的」と見なし、自らの内面的な深さや道徳性を強調する「文化」を対置した。
6. 文化的統一と国民国家の形成
- ドイツは長い間、小領邦に分断されていたため、政治的統一は困難であった。しかし、文化的な統一は比較的容易であり、文学や哲学、音楽を通じて一体感を醸成することができた。この文化的統一が、後の政治的統一への基盤となった。
7. フランス革命後の影響
- フランス革命後、フランスや西洋諸国は「文明」の概念と結びつけられるようになり、ドイツでは「文化」の概念が強調されるようになった。