井出草平の研究ノート

エリアス『文明化の過程』 Part.2 その1

フランスにおける宮廷社会と市民社会の統合

18世紀中頃から中産階級の台頭により、フランスの宮廷社会は中産階級を取り込み、その行動様式も変化した。これにより、宮廷貴族の特徴的な行動様式や礼儀が国民全体の特性として広まった。ニーチェは、宮廷社会が存在するところでは正しい言葉遣いやスタイルが重視されると述べた。フランスでは、貴族とブルジョワジーが同じ言語を話し、同じ本を読み、同じ行動様式を持っていたため、宮廷文化は徐々に国民文化へと変容した。

ドイツとフランスの中産階級の違い

18世紀のドイツでは、中産階級の知識人が専門分野での教育を受け、自らの文化を発展させた。一方、フランスの中産階級はすでに豊かであり、貴族階級とともに広範なブルジョワ公共を形成していた。フランスでは中産階級が宮廷社会に取り込まれ、ドイツの中産階級が宮廷貴族の行動様式を第二級とみなしたのとは対照的に、フランスではこれらの行動様式が国民の特徴として受け入れられた。

政治的背景

フランスでは、王政の政策により貴族の政治的機能が抑制され、ブルジョワ階級が早期に政府や行政に関与した。これにより、異なる社会的背景を持つ要素間で密接な社会的接触が続き、中産階級は政治的活動の機会を得た。一方、ドイツでは貴族が高位の政府職を独占し、ブルジョワ階級は経済的にも相対的に弱かったため、社会的分断が強調された。

宮廷と改革派の関係

宮廷内の権力闘争は、より広範な社会的グループや階級の利害を代表する形で行われた。18世紀後半のフランス国王は、社会的プロセスの囚人となり、宮廷内の派閥や中産階級の圧力に依存するようになった。フィジオクラシーは、こうした状況下で生まれた改革運動の理論的表現であった。

フィジオクラシーの基本理念

フィジオクラシーの基本理念は、社会経済生活を自律的なプロセスとして捉え、経済循環の自然法則を重視するものである。フィジオクラットたちは、経済の自由な運営を主張し、特に穀物貿易の自由化を求めた。彼らは、啓蒙された官僚制による理性的な統治が必要であると考え、王政の枠組み内での改革を目指した。

文明と文化の対比

フランスの「文明」概念は、中産階級の社会的上昇と密接に関連していた。一方、ドイツの「文化」概念は、中産階級知識人が独自に形成したものであり、宮廷貴族のモデルとは対立するものであった。これにより、フランスでは「文明」が、ドイツでは「文化」が、それぞれ国民国家の形成において重要な役割を果たした。

フランスとドイツの違い

フランスの改革運動は宮廷と中産階級の密接な関係の中で進行し、改革派知識人たちは宮廷社会の行動様式を引き継ぎつつ発展させた。一方、ドイツの中産階級知識人は、政治的には無力でありながら、知的には急進的であり、宮廷貴族とは異なる独自のブルジョワ文化を形成した。