川畑友二,2007, 「アスペルガー症候群とシゾイドパーソナリティー障害との関連について−児童精神科医としての見解−」 『精神神経学雑誌』109(1):45〜49
アスペルガー障害とシゾイドパーソナリティー障害との関連性についての論文。広汎性発達障害と人格障害の関連性では重要になってくる論点。何が問題なのかというと、人格障害(II軸)で診断を取れば、広汎性発達障害(I軸)の診断はとらないことになる(少なくともとる必要はない)ということである。逆に人格障害を取らなければ、広汎性発達障害という診断は増加する。この診断は、医師の立場の違いによって大きく違ってくる。
また、医師の立場の違いで診断が変わってくるだけではなく、この流動的な部分に当てはまる人たちが非常に多いのも問題である。広汎性発達障害を扱った疫学調査の有病率が著しく違う値を示すのは、この立場の部分(つまり診断方法)が違っているからである。広汎性発達障害とシゾイドパーソナリティー障害の関係性に特化してまとめると大きく3つの立場がある。
シゾイドパーソナリティー障害は、
現在の所、自閉症スペクトラムという考え方は精神医学全体からは受け入れられているとは言いがたい。従って、広汎性発達障害の要件に達していないケースに対しては、2もしくは3の立場から診断を下すのがオーソドックスではないかと思われる。
煩雑極まりないが、「自閉症スペクトラム」ではあるが、DSMやICDで「広汎性発達障害」の要件を満たさないケースについて考える必要がある。上記で「流動的」といった部分である。
自閉症スペクトラムだからといって、広汎性発達障害という診断が下りるわけではない。臨床的にはアスペルガー障害や特定不能の広汎性発達障害カテゴリーに分類されるよりも、はるかに多いケースがこのタイプに当てはまるのではないかと思われる*1。
広汎性発達障害の要件を満たさないケースに対して特定不能の広汎性発達障害の診断を与える医師もいるが、DSMの基本的な考え方からは逸脱している。広汎性発達障害の要件を満たさないケースに関しては、自閉症スペクトラムがみられるからといって、広汎性発達障害に入れるのはDSMの運用上は妥当ではない(臨床的には妥当だと思われるが)。
このような診断は上記の3つ立場の分類で言うと、1の分類に相当する立場である。この立場は、児童精神医学の中ではある一定数の勢力はあるものの、精神医学全体の中では少数的な考えである。
また、このような立場の違いとは別に、自閉症スペクトラムと広汎性発達障害を(区別ではなく)同一だという認識のものでは、自閉症スペクトラムの有病率と広汎性発達障害の有病率の混同も起きてきているように思われる。
ウイング自身,アスペルガー症候群と名づけたものは「シゾイドパーソナリティー障害」の一型とみなしうると述べていたが,1980年後半以降,「シゾイドパーソナリティー障害」は自閉症やアスペルガーの連続線上にあるという説,自閉症のマイルドフォームであるという説,及びアスペルガー症候群は「シゾイドパーソナリティー障害」と区別されるが,その一方でその危険因子でもあるとする説,の3つの説が存在している.
シゾイドパーソナリティー障害の主な特徴は,「関係を形成する能力に欠け,他者に対する思いやりの欠如,感情的・社会的な接触からの引きこもり,空想や孤立した活動および内省への没頭」であり,「感情表現や楽しみを経験することに乏しい」といった意味でアスペルガー症候群との類似性が以前から指摘されていた.シゾイドパーソナリティー障害の人たちは自らを生まれつき敏感だと述べたり,彼らの親はよく彼らが過度に明るく,騒音,動きに尻込みする赤ん坊だったと述べる.このような赤ん坊は素質的にシゾイドパーソナリティー構造に陥りやすいのであろうし,これはアスペルガー症候群の軽症例とも合致する傾向である.
補足としてはウィングの言う「シゾイド」はDSMの分類では、統合失調質人格障害(Schizoid personality disorder)*2ではなく、統合失調型人格障害(Schizotypal personality disorder)*3に近いものである、ということであろう*4。特にどちらだということが示されずに、話が進んでいく場合が多々あるので、ややこしい。
軽度発達障害やウイング(Wing,L.)の唱えた自閉症スペクトラムといった概念が普及してきたためであろうが,その中には小児期になんら発達的な問題の指摘を受けずにきた成人も含まれ,シゾイドパーソナリティー障害という診断も可能なケースも含まれている.元々1944年にアスペルガー(Asperger,H.)が書いた「自閉性精神病質」についての論文は,子どもにも性格障害が存在するという主張であり,とくに造語や大人のような言葉遣いを記載し,シゾイドパーソナリティーを意識していたとされている.しかし,アスペルガー症候群の長期的予後については研究の緒に就いたばかりである.
小児期の環境が悪かったため、社会的スキルが身に付かず、見た目はアスペルガー障害のようなケースがあるという指摘。またアスペルガー自身もシゾイドパーソナリティーを意識していたようである。
以下は「軽度」発達障害についてと、素質因と環境因についての記述。
軽度発達障害を述べるとき,「軽度」の程度が不明確であり,たとえば運動音痴などのようにある種の「苦手さ」や性格個性をも含む可能性がある.とくに自閉症スペクトラムでは,精神発達遅滞の「知能検査が平均より2標準偏差以上低い」といったような明確な軸は現在なく,また対人や情動といった複雑さを伴う障害のため,将来もその線引きは困難であろう.また,発達障害というとえてして素質因に目が向き過ぎ,環境因は無視される傾向がある.しかし,精神発達過程そのものは個体の素質と環境との相互作用で形成されていくものであり,つまりは発達障害は素質因と環境因の両者が相互に影響しあいながら生じるものであり,診断においてその両面に対する理解が求められると思われる.
発達障害は素質因と環境因が影響して目に見えるものになる。つまり、アスペルガー障害っぽい人がいたからと言って、生物学的な原因(遺伝的原因とも言い換えられるかもしれないが)、もともとその人が発達障害だとは言えないかもしれないのだ。例えば、社会から数十年離れて、一人でひきこもっていれば、社会性はなくなるし、対人関係を結ぶのも難しくなるだろうし、情動の表現もできるとは限らない。この論文で指摘されているように、小児期に社会的スキルを身につけられない環境にいたケースもそうである。
アスペルガー障害に典型的に見られる症状を示していたとしても、アスペルガー障害だとは限らないのである。また、社会環境も重要である。ADHDの有病率はアメリカでは2パーセント程度だが、イギリスでは0.5%である。この原因をアメリカ人の遺伝子の中にADHDになりやすい因子があるとするのはかなり厳しいものがある。それよりも、社会的な生育環境・教育環境が違っていて、アメリカ社会ではADHDと見なされる症状を露呈しやすいと考えた方が妥当性が高い。発達障害というと、遺伝子の問題だと考えがちだが、環境要因も非常に重要になってくるのである。
アスペルガー障害とシゾイドパーソナリティー障害の診断の問題、環境要因を考えること、の2点がアスペルガー障害や広汎性発達障害を捉える上では重要になってくるのではないかと思われる。
*2:社会的関係からの遊離、対人関係状況での感情表現の範囲の限定などの広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち4つ(またはそれ以上)によって示される。
(1) 家族の一員であることを含めて、親密な関係をもちたいと思わない、またはそれを楽しく感じない。
(2) ほとんどいつも孤立した行動を選択する。
(3) 他人との性体験をもつことに対する興味が、もしあったとしても、少ししかない。
(4) 喜びを感じられるような活動が、もしあったとしても、少ししかない。
(5) 第一度親族以外には、親しい友人または信頼できる友人がいない。
(6) 他人の賞賛や批判に対して無関心に見える。
(7) 情緒的な冷たさ、よそよそしさ、または平板な感情。
*3:親密な関係では急に気楽でいられなくなること、そうした関係を形成する能力が足りないこと、および認知的または知覚的歪曲と行動の奇妙さのあることの目立った、社会的および対人関係的な欠陥の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち5つ(またはそれ以上)によって示される。
(1) 関係念慮(関係妄想は含まない)
(2) 行動に影響し、下位文化的規範に合わない奇異な信念、または魔術的思考(例:迷信深いこと、千里眼、テレパシー、または“第六感”を信じること、:小児および青年では、奇異な空想または思い込み)
(3) 普通ではない知覚体験、身体的錯覚も含む。
(4) 奇異な考え方と話し方(例:あいまい、まわりくどい、抽象的、細部にこだわりすぎ、紋切り型)
(5) 疑い深さ、または妄想様観念
(6) 不適切な、または限定された感情
(7) 奇異な、奇妙な、または特異な行動または外見
(8) 第一度親族以外には、親しい友人または信頼できる人がいない。
(9) 過剰な社会不安があり、それは慣れによって軽減せず、また自己卑下的な判断よりも妄想的恐怖を伴う傾向がある。