井出草平の研究ノート

サバン症候群について

仁平義明・神尾陽子,2007,
「自閉症者の「並外れた才能」再考 (特集:自閉症の認知研究の現在)」
『心理学評論』 50(1), 78-88


妻を帽子とまちがえた男 (サックス・コレクション)

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この本では自閉症者は特定の認知能力は定型発達者と比べて並外れて優れていることが紹介されている。自閉症者の特異的な能力のことを「サバン症候群」と呼ぶことがあり、この本の影響もあり、一般的に広く信じられている。しかし、明確になっていない部分も多いため、サバン症候群について再考したのが、仁平・神尾の論文である。


1.絶対音感について

絶対音感(absolute pitch:AP)について。自閉症者には絶対音感を持つ者が多いといわれる。著者らはその論拠を探している。

自閉症者のAP保有率がきわめて高い」という記述は,たとえば, Samson et al. (2006)にみられる。彼らは,自閉症者のAP保有率が非自閉症者よりも約500倍も高いとしているが,その根拠としてRimland and Fein (1988)と,Takeuchi and Hulse (1993)の2本の論文が引用されている。
 Rimland and Fein (1988)は,サンディエゴのThe Institute for Child Behavior Research(ICBR)に登録されている自閉症児を対象としたRimland (1978)のサバン研究を引いて,自閉症サバンの種々の特別な能力について考察している。彼のオリジナルの研究は次のように行われた。まず,登録されている約5,400人の自閉症児(カナー夕イプの古典的自閉症)のデータを分析し,特別な能力を有することが確認できた561人を選定した。そのうち,研究協力に同意の得られた531人(9.8%)の親に,特殊な能力の例や種類,顕かになった年齢,能力の加齢による変化,興味を抱くようになった経緯,家族集積などを尋ねる質問紙を送付し, 119人から有効画答が得られた。l19人中63人に音楽の特別な能力を有することが報告されたが, APについての詳細な記述はない。したがってこの調査で明らかにされたのは,特別な音楽能力を示した自閉症児がサンプル全体の1.2% (63/5400人)に見出されたことであって, AP保有に関する実証的なデータはなんら示されていないのである。
 次にTakeuchi and Hulse (1993)の論文にあたってみると,彼女らは非自閉症の母集団におけるAP保有率は「0.01%以下」とした根拠として,Bachem (1955)とProfita and Bidder (1988)の2論文を引用している。 Bachem (1955)では,一般母集団におけるAP保有について「1%以下」という記述があるのみである。一方,Profita and Bidder(1988)では,未刊行のProfita (1984)の研究を引用して一般母集団におけるAP保有者は1,500人中1名(0.067%)以下であると述べているが,その数値は長い教育経験を持っ音楽教師たちの経験上の推定によるものと記されている。
 以上より,自閉症者ではAP保有率が一般母集団のそれと比べてはるかに高いという繰り返される主張は根拠に基づくとは言えず,根拠を探して辿るとそれは蜃気楼のように消えてしまうことがわかる。


否定的な見解。少なくとも「広く信じられる」ほどに明確な根拠があるという訳ではないようである。一方で、肯定的な研究も紹介されている。

 経験の影響を排除するために,対象に,音楽教育の経験がなくかつ特別な音楽の才能を持たない子どもを選び,ピッチの記憶や同定能力,そして和音から個々の音を識別する能力を調べた一連の研究が報告されている。Heaton, 2003; Heaton,Hermelin, & Pring, 1998)。そこでは,自閉症児と,厳密に暦年齢や知能でマッチングした対照児に,音名を介さず回答できるように,動物の絵と音の連合学習をさせ,音に対応する動物を正しく指すことができるかどうかを評価した。その結果,ピッチの記憶や同定は,自閉症児が対照群よりも優れることが示された。


下が小活である。

 以上より,現時点では,自閉症者でAP保有率が高いという前提は疑わしい。しかしながら,自閉症の児童,青年,若年成人で認められた良好なピッチ感度という独特な知覚特性について,さらに発達的観点から説明される必要があり,それが幼児期から発達するとされるAP形成にどのように関係するのかについて,今後明らかにされる必要があろう。


絶対音感については結論が出ていないが、少なくとも自閉症者に絶対音感を持った者がとりわけ多いということを支持したデータはないようである。


2.自閉症者の音楽記憶能力


非常に興味深い研究が紹介されているので、少し長くなるが紹介しよう。音楽記憶能力とは、聞いただけで、その音楽を記憶し、再現できる能力のことをいう。

 21歳の自閉症者NPの"並外れた"音楽再現能力を詳細に分析したSloboda, Hermelin, and O'Connor(1985)による症例報告は,自閉症のサバン能力が何を意味しているかについて,示唆するところが大きい。
 NPは, 17歳で自閉症者のための施設に入所し,研究当時もそこで居住していた。 Wechsler知能検査の言語性IQは62,動作性IQは60であった。数字の順唱は5桁,逆唱は4桁で,特別に機械的な記憶能力があるわけではなかった。しかし,彼は入所当初から特別な音楽再現能力で知られていた。彼はごく幼少からラジオで音楽を強迫的に聴いていたことが報告されている。入所後は,施設にあるピアノを弾くようになり,聴いた音楽をピアノで再現するようになっていた。施設の教師の話では,ソナタ程度の長さの曲も3-4回聴いただけで再現することができた。
 音楽再現能力の詳細なテストは, NPが21歳時に, 20歳代のプロのピアニストのパフォーマンスと比較するかたちで行われた。 NPとピアニストは,ピアノ曲を2曲聴かせられ,それをピアノで再現演奏するように求められた。 1曲は調性のある曲(グリーグ作曲の叙情曲集から,Op.47,no.3, "メロディ"),もう1曲は無調的な曲(バルトーク作曲のミクロコスモス第5巻から"全音音階")であった。 NPは,調性のある"メロディ"再現する試行で4-5声の64小節を, 7回ではとんど正確に再現できた(ただし,最初の1回目は,ほとんど再現できなかった)。一方,プロのピアニストは,同じ7回の試行で同程度の正確さで再現できたのは最初の8小節までで,それ以降の部分はばとんど不正確であった。
 ところが,バルトークの無調的な"全音音階"は,含まれている音符数がはるかに少ないのに,事情がまったく異なっていた。ピアニストは,堤示された最初の12小節の合計51音を3試行でエラーなしで再現することができるようになった。しかし, NPは5試行目でも,その51音の半分も再現できず,誤りの音符の方が多かった。さらに,調性のある"メロディ"でNPが再現演奏で犯した誤りを分析すると,エラーのほとんどはその調の音楽構造を維持するかたちのものであった。つまり,調性のある音楽の図式にのっとったエラーであると言える。
 この結果は,彼の"並外れだ"音楽の再現能力の本態は,音楽の機械的な記憶能力や音の同定能力だけではないことを示している。むしろ,相対的および全体的特徴に基づく調性の構造が,個々の音よりも優位に把握されていることが示唆されている。それは,彼の幼児期から持続する西洋音階音楽への接触経験によって形成された音楽の処理図式によるものと考えられ,その接触は自閉症的特徴から桁はずれに多かったものと想像できる。このような詳細な症例を通した分析から,実際の音楽演奏という才能の出現には,個々の認知特性や,受けた教育の質をも超えて,当人の情熱に基づく長い時間,継続される経験の重要性が浮かびあがってくる。


自閉症の生得的な遺伝子に特殊能力が埋め込まれているというのではなく、この実験結果は、生まれた後の発達段階で特殊な訓練を長期間・長時間にわたって続けてきたことが大きく関与していることが示唆されている。


+スービタイジング

スービタイジングとは「物体の数を一目で一時に見積もる」能力のことである。自閉症者はこのスービタイジングで把握できる数が多いと言われることがあり、これもサバン症候群の一つとされている。
この能力については以下のように研究があるようだ

 Gagnon etal. (2004)は,瞬間的な数の把握,すなわちスービタイジングの典型的な実験を,高機能自閉症児・者14人(平均IQ107,平均15.07歳)と知能水準が同程度の定型発達児・者14人(平均IQ108,平均14.5歳)を対象として行った。

 Gagnonらが得た結果は,認識すべき対象の数と判断時間の関係は,自閉症群も定型発達の対照群も,基本的に違わないということであった。両群とも,対象の数が2〜4の範囲では数の判断時間はゆるやかな増加を示し,それ以後(5〜9まで)判断時間はそれより急な傾きで対象の数の増加とともにほぼリニアに増加していった。この結果は,高機能自閉症児・者も,定型発達児・者と同様に,対象数が4程度まではスービタイジングに近い処理を,それ以上はカウンティングをしていることを示唆している。少なくとも,一般に自閉症では通常より多数のアイテムのスービタイジングを行っていると結論することばできない。


一般的に言って自閉症では通常よりスービタイジングに優れているということではないようだ。では、なぜスービタイジングの能力があると思われてきたのか?

 Gagnonらの結果からは,自閉症者が一瞬にして「111」のスービタイジングが可能であると過剰一般化を行うことば誤りであるけれども,従来報告されてきた例外的なスービタイジング能力の自閉症サバン症例を完全に否定することもまた不適切であろう。別な説明として,並外れた数の瞬間的な把握能力を示す自閉症者の一部は,刺数提示後も視覚的イメージとして持続する直観像(eidetic image)を保有しており,実際には直観像を利用してカウンティングを行っていたのに,スービタイジングと誤解されたということも考えられる。


自閉症者の能力の中で、見ている風景を写真のように記憶することができるというものがあり、その像を思い浮かべながら、カウントしているのではないかという仮説である。スービタイジングのような一瞬での把握は無理でも、直感像が記憶されていれば、後から一つ一つカウントしていって、普通の人にはできない精度でのカウントができるように思われる。


この論文で扱われているのは3つの能力であるが、「自閉症者には特殊能力がある」と表現するよりも、もっと奥深いものがあるようだ。