- 西山俊彦「カリフォルニア権威主義尺度の包括的検討」
アドルノのFスケールは因子分析はされていないが、aからiまでの9クラスターに分類されている。因子分析の研究は後生になってからである。
- 因襲尊重(Conventionalism) 伝統的,中産階級的価値への執着
- 権威主義的服従性(Authoritarian Submission) 集団内の理想化された権威に対する服従的,無批判的態度
- 権威主義的攻撃性(Authoritarian Aggression) 伝統的な価値を犯す人を看視し,非難し,かつ,乙れに反擁しようとする傾向
- 内省拒否(Anti-Intraception) 主観的,想像的で柔らかい心への敵対
- 迷信とステレオタイプ(Superstition & Stereotypy) 個人の運命に神秘的な決定要因があるという信念,きびしいカテゴリーで考えようとする傾向
- 権力と“タフネス"(Power & Toughriess) 支配する人と服従する人,強い人と弱い人,指導者と従属者というような偏見をもった観方,権力のある人への同一視,習慣化された自我を極度に強調 する態度,強さに対する誇張的態度
- 破壊性とシニシズム(Destructiveness & Cynicism) 人間性への敵意や侮蔑
- 投射性(Projectivity) 野蛮で危険なものが世界をうろついているという信念,無意識的情緒的衝動の外界への投射 i.性(Sex) 性的な正常性を犯す人を処罰しようとする態度
次元性の研究
- 一次元性 一次元性を論証したといわれるものにEysenck (1954) の報告がある。それによれば, Melvin は原著者達のオリジナルなデータぞ用いてその因子分析を行なった。その結果一つの強い一般因子を発見し, とれをもってFスケールの統一的な(unitary)性格を検証できたとした。
- 多次元性 一方多次元性を報告している研究は多い。Christie とGarcia (1951) は二つの従属文化の比較を通じて7, 8個のクラスターを発見し, ζれによって権威主義は多次元のものである乙とを証明した。その上,文化が異なれば次元の意味も必ずしも同じではないことも発見した。但し,乙の文化による意味の違いも,スケール全体としての類似をそこなう程のものではなかった。 Hofstaetterは20項目のスケールより5つの因子を抽出した。但し,彼の因子は,反ネグロ主義,反ユダヤ主義,国家的誇り,清教主義および国家社会主義と政治的領域に属する因子が殆んどであって, Crutchfield (1954) はHofstaetter の行なった因子分析法は誤ったものだと指摘している。 O'Neil とLevinson (1954) とは8項目のFスケールより「権威主義的服従」並びに「男性的標榜」の2因子を発見した。これらは原著クラスターbの「権威主義的服従性」とfの「権力とタフネス」に該当し得るものとして興味深いところのものである。 ProthroとKeehn (1956) とはFスケール形式45-40 より2つの因子を拍出した。一つは「人間性および人閣の努力を低くみる意見」で他は「アラブ・ナショナリズム」であるが,この二つは原著のクラスターEの「人間蔑視」とクラスターcの「権威主義的攻撃性」と解釈する方が政治的設聞を避けたFスケール本来の意図とも合致するように思われる。 RokeachとFruchter (1956) は権威主義が“硬さー権威主義"の因子に負荷(.66)するのみでなく,他の因子“自由主義保守主義"にも相当の負荷量(.47) を持つことを見出した。ζ のことはFスケールが少なくとも一次元のものでなく,多次元に亘ることを立証するものと見倣された。 藤沢布と浜田哲郎(1960 a) はFスケール形式45-40 の日本語版により因子分析を行ない, 5つのセントロイド因子を拍出した。A因子は「伝統的・一般的な社会的規範の尊重」 と解され, B因子は「二分法的紋切型j, C因子は「非科学性への挑戦」或いは「科学尊重」, D因子は「外罰的傾向」と解釈された。但し, それらA,B, (C), D(Eは負荷量が小さいので取りあげられなかった)因子はそれぞれ原著のクラスター名をとり「権威主義的服従性」「迷信とステレオタイプ」「権威主義的攻撃性」と時ぴ換えてもさしっかえないと著者自身がいっている(1960b) 。
西山の研究における質問項目
本研究では原著からの翻訳の忠実さを考慮し,僅かの変更を例外としただけで与那嶺による尺度を全面的に使用した。与那嶺による尺度は40項目から成っており,与那嶺が作成した項目は第1表の28,33, 39, 40 の4項目で,残り36項目はカルフォルニア原尺度,牛島・坂本による九州大学尺度,および原谷による尺度を参照して構成されたものである。すなわち,第1表の4,8, 12 , 13, 16, 20 は牛島らの尺度, 24 は与那嶺が原谷から援用したものであり「戦争の落し子である混血児の問題は社会の不安と混乱をよびおこすことでしょう」となっていたものを,著者が今日においては最早一般性を持たないと判断し,浜田(1966) の「国民の祝日には昔のように家ごとに国旗を立てるということは強制しでもよいことど」との第四問と取りかえられたものである。残り29項目はカルフォルニア原尺度からの項目であるが原尺度番号第16問の「ある人々は生れっき高いところからとびおりようとする衝動をもっている」は選別力がなく除外された。以上のように選別された項目は特にクラスター帰属激において原著に忠実であろうとする努力が払われた。各項目のクラスター帰属関係は第1表の通りである。
- 親や先生の言うことをよく聞き,尊敬するということは,子供の学ぶべきもっとも大切なことである。
- 人生の成功や失敗はすべて本人の意志によってきまるものですから,どんな弱点や困難もその人の意志力さえ強ければ問題にならない。
- 科学や学聞は尊重されなくてはならないが,しかし人聞の知性では決して知る乙とのできないことで,たいせつなことがたくさんある。
- 人から受けた恩は返すのがあたりまえである。
- 人間の本性から考えて,戦争や争いごとは決してなくならないでしょう。
- 若い人はとかく反抗的な考え方をもつことがあるが,大人になるに従って乙のような態度は改めるべきである。
- 行儀や育ちの悪い人が,善良な人々と仲良く暮せるとは考えられない。
- 人の一生は生れたときからもはや運命によってきめられている。
- 若い人に最も必要なものは,厳しい訓練と強い決断力と家族や国のために働乙うとする意欲である。
- 映函館やパスの中で多くの人と接する機会の多い今日,私達は周囲の人々から病毒を感染しないように特に警戒しなければならない。
- 人の名誉を傷つけた人に対しては必ず仕返しをしてやるべきである。
- 目上の人に対してはたとえ自分の気に入らないことがあっても我慢して聞くのが礼儀である。
- 悪い行いをした人はたとえその人に何事もなかったとしても子孫には必ずその報いがあらわれるものである。
- 社会の秩序を守り,混乱を防ぐためには,政府が強い権力を持っているζ とが必要である。
- すべての人は彼等が何の疑いも江くその決定に従うようなある超自然的な力を完全に信ずべきである。
- 結局頼れるものは自分だけである。
- 強姦のような性犯罪は懲役や禁固ぐらいの罰では不充分である。もっと厳しく罰すべきである。
- 人々は,はっきりと賭か強者に分けることができ,結局は世の中は強者が弱者ぞ支配する形で動いている。
- 親に対する感謝と尊敬を感じない人ほど人間として低劣なものはない。
- 人間は全く微力でいくら立派な理想をかかげたところで,一生かかっても個人の力ではそれほど大したことはできない。
- 伝統的な道徳や生活様式のよいところが急速に失なわれつつあるので,これを保持するためには力による強制が必要である。
- おそらく易占の理がいつかは多くのことを説明できるようになるでしょう。
- 今日の社会が最も必要としているのは法律や政策よりも民衆が信頼しうる献身的な勇気ある指導者である。
- 国民の祝日には昔のように家ごとに国旗を立てるという乙とは強制しでもよいことだ。
- 今日の世の中には他人の私的なことに立入ってせんさくする人が非常に多い。
- 戦争や世の中のみにくい争いごとは全世界を破壊する地震や洪水のような天災によっていつかはかたづいてしまうでしょう。
- どうにかして不道徳な者や邪悪な人間などをこの世から取徐くことができるならば,大ていの社会問題は解決されるに違いない。
- 今日のような不安な社会では,法律はもっと厳しいものでなければならない。
- 困ったことや心配ととがあるときは,そのことを考えずになにかおもしろいことで気をまぎらすようにするのが一ばんよい。
- 今日の私達の社会では性生活がみだらで全くだらしない人が多すぎる。
- もし人々がもっと口数をへらして仕事に精出しするならば世の中はもっと住みよくなるでしょう。
- 世間では教養や学問よりも権力や財力を重んじるものである。
- どんな人でもすぐには信頼しない方がよい。へたに信頼するとひどいめにあわされる。
- 正常でしかも善良な人親や先輩の感情をそこなおうと考える人は一人もいない。
- 私達の生活は多くの野心家の陰謀によって支配されている。ただそれをたいていの人が知らないだけのことである。
- 同性愛は性道徳をみだす犯罪であるから厳しく罰するべきである。
- 人はああまり親しくするとあなどられるものである。
- 耐えがたい苦しみを経験しないで大事な乙とを学びとる乙とは決してできない。
- 学生時代には社会や政治の問題には関心をもたずに学問に没頭すべきである。
- 文学や恋愛は人間を軟弱にする。