井出草平の研究ノート

ブルデュー『ディスタンクシオン』輪読会第30夜 覚書

旧版2887ページ、普及版307ページから。

男性らしい食物

たとえば庶民階級において、魚は男性にはふさわしくない食物とされているが、それはただ単にそれが軽い食物であり、肉がつかず、事実上もっぱら健康のために良いからという理由で、病人や子供のためにしか供されないものであるからばかりではない。それはまた、魚が果物(ただしバナナは除く)とともに、男の手では扱えず、その前では男が子供みたいになってしまうような、デリケートな食物のひとつだからでもある(魚を料理して皿にのせて出したり梨の皮をむいたりするのは一般に女性なのだが、それも同様のケースではいつもそうであるように、母親としての役割に身を置きながらそうするのである)。

男は肉、というのは日本にも多少ある価値観である。

女性らしい食べ方

しかもっと大きな理由は、魚というものがあらゆる点でいわゆる男性的な食べかたとは反する食べかた、すなわち控え目に、少量ずつ軽く噛みながら、口の前方を使って、(骨をとるために)歯の先にのせて食べるという食べかたを要求するものであるということなのだ。つまりちょぼちょぼ食べるのが似つかわしい女性のように口先だけで少しずつ食べるか、それとも男性にふさわしく大口に頬張ってがつがつ食べるかという、二つの食べかたのあいだで賭けられているのは、まさに男性としてのアイデンティティそのもの、いわゆる男らしさそのものなのである。

男性はがっつり食べて、女性は少しずつ食べるという指摘。確かにその通りだが、下記の記述は気になる。

すなわち控え目に、少量ずつ軽く噛みながら、口の前方を使って、(骨をとるために)歯の先にのせて食べるという食べかたを要求するものであるということなのだ。つまりちょぼちょぼ食べる

こんな食べ方をフランスの女性はしているのか?という疑問がでたが、当然していないはずである。ブルデューがこんな書き方をしているかはよくわからない。

リカール/ペルノとジェンダー

すなわちより大量に、そして自分のイメージ通りにより強い〔きつい〕食物を飲み食いするのが男というものなのだ。たとえばアペリティフの場合、男性は大きなグラスになみなみと注ぎ(食前酒の中でもリカールやペルノがよく売れたのは、おそらく大部分はそれがきついと同時に大量に----「小グラス」でではなくて----飲まれるべき飲物だということによっている)、おかわりをして二杯(パーティならばもっと)飲むであろう

リカールやペルノがよく売れたのはジェンダーイメージが関連しているという指摘。フランスでのリカールやペルノの位置づけを知らないが、あり得る話だろう。日本では、酒税や関税のせいもあるのだろうが、少し高い酒という認識があるはずである。ペルノは料理でも使うが、その時にはそうそう無駄遣いができないという意識が働いている。ワインや紹興酒のように気軽に入れられない。

肉を女性が忌避すること

そうではなくて、彼女たちは他人、特に肉料理というものが定義からして属している男性にとってはなくてはならないかもしれぬものが、本当に欲しくないのであり、いわば欠乏として経験されているわけではないものから一種の権威を引き出しているのである。それに加えて彼女たちは、(たとえば肉を食べ過ぎると「血が変質する」とか、異常に筋肉質になるとか、吹き出物ができるとかいった具合に)女性が食べ過ぎると有害であると言われているために一種の嫌悪感すらひきおこしかねない男性向きの食物にたいしては、味覚=趣味をもっていないのだ。

欠乏は必要性・必然性とセットのように使われる言葉である。過去にも引用したが、必然性(Notwendigkeit(独)/Necessity(英)/Nécessité(仏))は下記の定義される。

「そうなることが確実であって、それ以外ではありえない、ということである」 (岩波 『哲学・思想事典』、p.1317-1318 『必然性』、高山守 執筆)

肉を食べると「異常に筋肉質」がつく、「吹き出物ができる」といった、本来とは別の言い訳がされるのは興味深い。

文化人類学的とつけなくてね良いだろうが、男性性を表す食物を「食べる」ことは男性性を取り入れることを意味する。その結果、男性性を表す食べ物は忌避されるが、そのことをそのまま言うことができないため、「異常に筋肉質」がつく、「吹き出物ができる」といった「それらしい」理由がつけられるのだろう。

味覚=趣味は何度も出てきている« goûts »である。

風貌とハビトゥス、ヘクシス

本来の意味で「肉体的」な標識など存在しないのであって、口紅の色・厚さや身振りの形態などは、顔や口の形とまったく同様に、社会的に特徴づけられた「精神的」容貌を示す指標として、すなわちその人の精神状態が「下品」であるか「上品」であるか、また生まれつき「自然」なものであるかそれとも後から自然に「つちかわれた」ものであるかなどといったことを示す指標として、ただちに読まれるのである。

風貌も階級を示すものであるという指摘。事後的につくろったものか、生まれつきのものか、まで見抜くらしい。フランス社会は怖い。

クリネックス

たとえばクリネックス・ティシューはそれで自分の鼻をやさしく包み、強く押えすぎないようにして、いわば鼻先でそっと何度かに分けて小さく洟をかむことを求める

突如クリネックスが登場する。

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日本でティッシュというといくつかの有名ブランドの中にクリネックスがあるという認識だが、フランスやアメリカなどでは違うらしい。ステープラのことをホッチキスというようなものらしい。

英語のWikipediaが最も詳しかったので、翻訳して引用しよう。

en.wikipedia.org

歴史
クリネックスの歴史は、第一次世界大戦中に始まりました。同社は、ガスマスクのフィルターとして使用されるクレープ紙を開発しました。1920年代初頭には、女性の生理を助けるためにKotexブランドという消費者向け製品として生まれ変わりました[1]。Kotexの商標は、"cotton "と "texture "という言葉の組み合わせに由来しています。この名前が選ばれたのは、"短くて、言いやすくて、覚えやすくて、説明しやすい "という条件を満たしていたからだと、同社自身が確認している。1924年、コールドクリームリムーバーの商品名として、Kleenexという名前が選ばれた。1924年に発売された西洋初のフェイシャルティシュは、コールドクリームを取り除くためのものとして販売された(日本では何世紀も前から使用されていた。1925年、最初のクリネックスティッシュの広告が雑誌に使われ、"有名な映画スターが使っているきれいな肌を保つための新しい秘訣 "が紹介された。クリネックスが発売されてから数年後、会社の研究責任者は、風邪や花粉症に効くティッシュを売り出そうと、広告責任者を説得した。しかし、広告担当者はそれを断った上で、わずかな広告スペースを使って、クリネックスティッシュをハンカチとして使うことを提案しました。1930年代になると、クリネックスは「Don't Carry a Cold in Your Pocket(風邪をポケットに入れないで)」というスローガンを掲げて販売され、使い捨てのハンカチの代わりとしての使用が主流となりました[4]。 1943年、クリネックスはブランドを普及させるために漫画のキャラクター「リトル・ルル」のライセンスを開始しました[5]。

民生用としては、1924年アメリカで「化粧落とし」として発売というところから始めている。

リトル・ルル - Wikipedia

フランス語のWikipediaを見ると、化粧落としと紙おむつがまず進出して、ティッシュという順番だったようだ。

fr.wikipedia.org

ティッシュと文化

個人的にティッシュは香港のTempoが印象的である。

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ameblo.jp

shuhunokoto.com

Tempoの第1の特徴は無香のものもあるが、お茶やジャスミンなどの匂いがついていることである。第2は小さく折りたたまれていること。サイズが日本のものとかなり違う。第3に高価であることである。

ティッシュは20世紀になって普及したものであるため、その国でもともと使われてきた何かの代用品である。日本であればちり紙であるが、フランスではハンカチである。

香港はハンカチのなかったが、近代化にともなって衛生的な振る舞いが必要とされ、ハンカチの代わりに持つものとしてTempoなどのティッシュが普及したようだ。香港で売られているTempoは分厚く鼻かみ用としては適していない。どちらかと言うと、汗を拭いたり、テーブルを拭いたりするためのものである。

アメリカでは台拭きではなくペーパータオルを使うのも日本と違う点である。以下の動画Bountyというアメリカでシェアの高いペーパータオルのCMである。


www.youtube.com

コストコに売っているキッチンペーパーみたいなもの、と言った方が早いかもしれない。

賭け

つまりちょぼちょぼ食べるのが似つかわしい女性のように口先だけで少しずつ食べるか、それと も男性にふさわしく大口に頬張ってがつがつ食べるかという、二つの食べかたのあいだで賭けられているのは、まさに男性としてのアイデンティティそのもの、いわゆる男らしさそのものなのである。

この部分は、原文が錯綜しているので、該当箇所だけを切り抜くと以下の部分である。

C’est bien toute l’identité masculine qui est engagée dans ces deux manières de manger
It is indeed the whole male identity that is involved in these two ways of eating(English)

engager(engagée)はinvolveである。日本語であれば従事する、制約する、道徳的に拘束するなどの意味である。

www.larousse.fr

賭けをすることは、ちゃんと書くと« engager un pari »なのでおそらく訳者が意訳したのだと思われる。

この文脈で「賭け」という言葉を使う場合には、「パスカルの賭け」のことである。

ja.wikipedia.org

ブルデューが直接「賭け」について言及したわけではないので、詳しい説明はまたの機会に。