井出草平の研究ノート

ブルデュー『ディスタンクシオン』輪読会第34夜 覚書

旧版317ページ、普及版336ページから。

ペタンク

いっぽうペタンクなどは、それが大衆の遊戯として南仏で生まれたものであり、かつ南仏の大衆に特に好まれているという二重の不利な条件に結びついているために、リカールをはじめとする強い飲物や、経済的であるばかりでなく濃厚でもあって、重く、脂っこく香辛料がきいているので力がつくとみなされているあらゆる食物に、きわめて近い分布上の意味を担っているのである。

ja.wikipedia.org

日本でも一部の自治体で、主に高齢者を中心にペタンクは盛んである。ペタンク・ブール連盟のページがある。

公益社団法人 日本ペタンク・ブール連盟 https://fjpb.web.fc2.com/kameidantai/kameidantai.html

ペタンクをしながら飲む食前酒トップ10

www.portail-ffpjp.fr

リカールはLe pastisの一種である。

地中海殺人事件

劇中で「南欧州の年寄りがやってるペタンクという競技」というものが出てくるらしい。

akabaneouji.blogspot.com

検索すると下記のような場面だそうだ。

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開放された身体

「新体操」などのケースのように、「解放された」身体を作ること(これは特に、ブルジョワプチブル階級の新興階層の女性に特徴的な要求である)を期待する者もあるといった具合なのだ。

新体操は英語でrhythmic gymnasticsである。フランス語でもGymnastique rythmiqueであるが、日本語と同じようにnouvelles gymnastiquesという用法もあるようだ。
プチブルが新体操に解放された身体を期待するというのは少し想像しにくい。

新体操で有名なキャラクターは『タッチ』の浅倉南である。

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新体操が例にあがるのは時代性があるのかもしれない。現代ではバレエ、フィギアスケートが相当するのではないかという指摘があった。
これらのスポーツの並びは体重制限を伴うものであるため、摂食障害との関連が強い。身体の解放を目的に習い始めたスポーツで非合理的なとらわれが発生するという矛盾だろうか。

摂食障害の古典的著作であるヒルデ・ブルックによる"The Golden Cage"が出版されたのは1978年である。

www.hup.harvard.edu

ディスタンクシオンの出版が1979年であるので、ほぼ同年代の出来事である。

テニスをするときの服装

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ヴァレリー・ジスカール・デスタン大統領のテニスのレッスン風景。パリにて、1978年7月----フランスではこのところテニス人口が増えているが、ヴァレリー・ジスカール・デスタン大統領もテニスに大統領もテニスに関心を示している。彼は現在、スタイルを良くするために、パリ近郊のあるテニスクラブで定期的に早朝レッスンを受けている。その現場を本誌のカメラが捕えた」〈テニスマガジン〉/シグマ

ja.wikipedia.org

ジスカール・デスタンの母は中世以来の貴族であるエスタン家の出身と直系ではないにしろ、血筋は貴族の出である。

彼が来ている服は「ラコステ」のシャツであり、当時最もテニスをするに適した恰好だと思われていた。

ja.wikipedia.org

クロコダイル

ラコステが如何に人気であったか、の一つの出来事は「クロコダイル」の誕生である。

ラコステの創業より20年ほど後の1952年に、よく似た緑色のワニのロゴで頭の向きがラコステとは逆で左向きの「クロコダイル」という、ラコステとは全く関係ないブランドが香港で誕生。日本では1963年よりヤマトシャツ(現ヤマトインターナショナル)が「クロコダイル」を輸入販売しており、ラコステが日本での展開を開始する1971年よりも前からクロコダイルの方が「ワニのロゴが付いた服」として販売されていた。

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タチワニ

ラコステとクロコダイルの違いはワニの左右の向きだったが、さらに便乗して立ったワニを製作したのが岡田斗司夫の実家である。


www.youtube.com

海水着とアディダスのトレーナー

どうも分からない箇所がある。「海水着とアディダスのトレーナー」を着てテニスをすると翻訳されている箇所である。

つまり彼らのようにバミューダとTシャツとか、トレーニングウェア、さらには海水着とアディダスのトレーナーなどでするテニスというのは
le tennis qui se pratique en bermuda et T-shirt, en survêtement ou même en maillot de bain et en Adidas est bien un autre tennis, tant dans la manière de le pratiquer que dans les satisfactions qu’il procure

英訳をみてみよう。

Tennis played in Bermuda shorts and a tee shirt, in a track suit or even swimming trunks, and Adidas running-shoes, is indeed another tennis, both in the way it is played and in the satisfactions it gives.

英語版を日本語にすると以下のようになる。

バミューダショーツにTシャツ、トラックスーツや水泳パンツ、アディダスのランニングシューズでプレーするテニスは、プレーの仕方も満足感も別のテニスであることがわかる。

トラックスーツというのはジャージである。原文のen survêtementにあたる。日本語ではトレーニングウェアと翻訳されている。英語版では、アディダスとはアディダスのスニーカーのことと解釈されている。et en Adidasなので海水着とアディダスである。アディダスはもともと靴屋なので、アディダスといえば、トレーナーではなく、スニーカー、特に英語版が翻訳しているようにテニスに不向きなランニングシューズと解釈するべきである。日本語訳の「アディダスのトレーナー」は誤訳である。

maillot de bainであるが、英語だと水泳パンツと解釈しているが、男性の水泳用のトランクスを意味する言葉ではない。maillot de bainと検索すると女性水着が引っかかる。

www.google.com

maillot de bainで検索すると、下記のような格好もひっかかる。

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www.pinterest.jp

水泳パンツをレギンスとして解釈すれば以下のような恰好も含むことになる

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どのような意図でen maillot de bainと書いたのかはわからないが、ブルデューの時代には不格好だとされていたテニスの服装も現代では、さほどおかしいものではなくなっているのではないかという示唆は得られたのではないだろうか。

賭けの対象

自分の身体を道具として扱う関係のとりかたは、食餌療法や美容法、病気ヘの対処や健康法など、身体を物あるいは賭けの対象(アンジュ)としてとらえるあらゆる慣習行動において庶民階級の人々が示しているものである。

原版に該当の文章が見つからない。

英語版だと以下のところ。

The instrumental relation to their own bodies which the working classes express in all practices directed towards the body -- diet or beauty care, relation to illness or medical care -- is also manifested in choosing sports which demand a high investment of energy,

やはり無い。

表紙

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さて、この表紙はなんだろう?という話になった。

www.repro-tableaux.com

ゴドフリート・スカルッケンの« Le gourmet »という絵のようだ。

ja.wikipedia.org

レンブラントの弟子だったサミュエル・ファン・ホーホストラーテンとヘラルト・ドウが先生らしい。ランタンやロウソクの灯りを用いたキアロスクーロが得意だったらしい。もちろん知らない画家である。

この本を読んでいると、表紙からゴドフリート・スカルッケンくらいご存知ですよね?と差異化をブルデューに仕掛けられているように感じてきてしまうので、不思議なものである。なんせ日本語のWikipediaがあるくらいなので、知っている人にとっては、当たり前の知識なのだろう。

なぜ「グルメ」という表題の絵なのかというと、ディスタンクシオンの副題は« Critique sociale du jugement » 英語だと"a social critique of the judgement of taste"であり、« goûts » 味覚=趣味についての論考であるということから来ているのではないか思われる。

goût

www.larousse.fr

由来はラテン語gustusから。

gourmet

www.larousse.fr

由来は古フランス語のgromet、古英語のgromから。

この2つの言葉は似ているようにも感じるが、由来は異なるようだ。

食べているソーセージは美味しいのだろうが、食べ方を見る限り、無作法にも感じる。スカルッケンの活躍した17世紀の食事の作法は分からないが、そのようなことを問う意図もあったのではないだろうか。

次回

旧版324ページ。