37ページに下記のような図と説明がある。
〇で示すところが、 脳の機能が低下している部位。 理性を司る前頭前野が含まれる。
樋口先生は〇の部分の脳の機能が低下していると説明している。
実際に、引用された論文をみていこう。
- Meng, Y., Deng, W., Wang, H., Guo, W., & Li, T. (2015). The prefrontal dysfunction in individuals with Internet gaming disorder: A meta-analysis of functional magnetic resonance imaging studies: Meta-analysis of fMRI in IGD studies. Addiction Biology, 20(4), 799–808. https://doi.org/10.1111/adb.12154
該当する記述は以下の部分である。
健常対照者と比較し、IGD患者では、両側中前頭回(MFG)と左帯状回、左中側頭回と楔状回に有意な活性化が認められた。
Compared with healthy controls, subjects with IGD showed a significant activation in the bilateral medial frontal gyrus (MFG) and the left cingulate gyrus, as well as the left medial temporal gyrus and fusiform gyrus.
樋口先生は「脳機能が低下している」と書いているが、論文には「活性化が認められた」となっている。
まったく逆の話である。
可能性は以下の3つであろう。
- 論文を読んでいない
- 英語が読めない
- 脳科学の論文を読む学力がない
いずれにしても、樋口先生に関する残念なお知らせがまた一つ増えたのは間違いない。
「理性を司る」とは具体的にどういうことか
樋口先生は、脳機能が低下すると理性が弱まって、感情(ゲームをやりたい欲求)を押さえられない、といった発想をしているのだと推測されるが、脳の働きはもう少し複雑である。 論文中には類推されるメカニズムが議論されているので、一応紹介しておこう。
われわれのメタアナリシス研究の主な所見のひとつは、IGD被験者はHCと比較して、両側の中前頭回と左帯状回(前帯状皮質と後帯状皮質を含む)の活動が亢進していたことである。これは、自己調節、衝動制御過程、報酬機構に寄与する中前頭回/帯状回における機能障害や解剖学的欠損を示唆するいくつかの構造的・機能的神経画像研究(Osunde 2010; Yuan et al. そのため、脳の大脳辺縁系の一部である前帯状皮質は、情動行動と認知を調節する役割を担っている(Bush, Luu & Posner 2000)。後帯状皮質は「大脳辺縁葉」の上部であり、脳の「デフォルトモード」ネットワークの中心的なノードであり、自己言及機能と実行認知機能に関与し、ワーキングメモリープロセスとエピソード記憶検索に関与している(Leech, Braga & Sharp 2012; Brewer, Garrison & Whitfield-Gabrieli 2013)。これは、IGD者の臨床心理学的特徴と一致していた。他の研究で示されたように、IGDの青年は行動的または感情的な問題を抱えていることが多かった(Whang, Lee & Chang 2003)。
IGD被験者の左中前頭回(背外側前頭前野)と右後帯状皮質における活性の増加は、「ネットサーフィン」に費やした時間数と正の相関があった。つまり、IGDの人がウェブやコンピューターゲームに没頭する時間が長くなると、前頭前皮質がより活性化してオンライン行動を制御しようとするが、うまくいかない可能性がある。このことは、IGDの中前頭回/帯状回における、自己制御の失敗とオンラインゲームへの集中的な熱中性の根底にある神経メカニズムに光を当てるものである。
他の精神疾患との関係
いつも書いていることだが、脳に関して必ず検討しなければならないのは、併存する他の精神疾患である。
今回の焦点である内前頭回に関しては、ADHDとの関係が指摘されている。
- Dickstein, S. G., Bannon, K., Xavier Castellanos, F., & Milham, M. P. (2006). The neural correlates of attention deficit hyperactivity disorder: An ALE meta-analysis. Journal of Child Psychology and Psychiatry, 47(10), 1051–1062. https://doi.org/10.1111/j.1469-7610.2006.01671.x
ADHDの被験者が対照群よりも有意に活性化しやすい領域は、内前頭回(BA 10)と右側傍中心小葉(BA 5)の2つだけであった。
ゲーム行動症とADHDとの併存率が高いことは周知の事実である。従って、内前頭回における活動が亢進はゲームによるものなのか、被験者がもともとADHDだったからなのか、というのは分からない。
論文はゲームの依存症に相当する人の画像を取ってみました、でOKなのだが、解釈をする際に、ADHDについての検討は外すわけにはいかず、ADHDの検討ができないのであれば、ゲームによって起きている症状であるとか、ゲーム行動症による脳の変化といった発言は慎まなければならない。
ただ、今回の場合は、活動亢進が報告されている論文を、脳機能の低下と真逆の意味で引用してしまっているので、もっと初歩の段階で躓いているので、過大な要求かもしれない。
快楽中枢の話
樋口先生は36ページで快楽中枢の話の話をしている。
例えば、私たちが気持ちよいと多幸感を感じるのは、脳内の報酬系と呼ばれる部位の活動が活発になるためです。薬物依存者は多幸感を求めて薬物を使いますが、大量に使っているうちに、この報酬系が、その薬物に鈍感になっていきます。そのため、より多くの薬物を使って、多幸感を維持しようとします。その結果、薬物使用量が増え、依存が深刻化していきます。このような変化は、通常、MRIなどを使った脳の画像検査で明らかになります。実は、これと全く同じ変化が、ゲーム依存でも観察されています。ゲームをして多幸感を維持しようとする結果、ゲーム時間がますます延びていくわけです。
樋口先生の本にはだいたい同じような説明がされていて、間違いだらけなのも共通している。いちいち説明するのも面倒なので、過去のエントリで説明の代用にしたい。このエントリで行った訂正がこの文章にもあてはまる。
今回の違う点は、アルコールや依存性の薬物のメカニズムの説明が混じっていることが言明されている点である。薬物性の依存症で示されたことが非薬物性のゲームやギャンブルでも当然起こっているだろうと、あて推量で「同じです」と言ってしまうのは樋口先生に限ったことではないが、実際に論文を読んでみるとわりと違うことがわかるので、ちゃんと調べた方がいいだろう。
国の依存症対策の指針を実質的に決めていると言っていい久里浜医療センターの院長(現在は名誉院長)の説明が間違いだらけというのは、かなり憂慮すべき事態であると認識した方がよい。なぜなら、その間違いだらけの知識に基づいて、国の政策が作られ、推進されていくからである。