井出草平の研究ノート

ケネス・ガーゲン『飽和する自己:現代生活におけるアイデンティティのジレンマ』

第1章 自己概念の変化

私たちが他者に自己をどのように理解させるかが重要であり、その変化は社会生活に大きな影響を与える。自己表現の語彙が増えると、新しい関係性が可能になる。例えば、英語には「定期的な情熱の関係」(relationship of periodic passion)を表現する語がなく、新しい自己表現の語彙が関係の幅を広げる。

「定期的な情熱の関係」という表現がある場合とない場合の違いは、関係の性質や展開に大きな影響を与える。まず、この関係性を表現する言葉があれば、人々はその関係を明確に表現でき、相手にも理解されやすくなる。これにより、新しい形の関係性が社会的に認知され、受け入れられる可能性が高まる。また、定期的な情熱の関係を持つことで、双方が互いの期待や限界を理解し、必要に応じて離れて過ごすことができるため、個人の時間や空間を大切にしつつ、感情的な絆を維持できる。さらに、この新しい関係モデルは従来のロマンチックな関係や友人関係とは異なり、定期的な感情的な高まりと休息を繰り返すため、関係の持続性や満足度が向上する可能性がある。

一方、「定期的な情熱の関係」という表現がない場合、人々はそのような関係性をうまく表現できず、誤解や不満が生じる可能性がある。その結果、関係の性質が曖昧になり、双方の期待が一致しないことが増える。また、新しい関係モデルがない場合、人々は従来のロマンチックな関係や友人関係に依存することになり、関係の形式が固定化され、柔軟性が失われることがある。さらに、定期的な情熱の関係を持つことで得られる感情的な調和や理解が欠けると、関係において感情的な摩擦や衝突が増える可能性があり、双方が異なる期待を持つことで関係の持続が難しくなることもある。

このように、「定期的な情熱の関係」という表現があるかないかで、関係の構築や維持の仕方に大きな違いが生じる。

自己の歴史と文化的場所

文化人類学歴史学の研究により、自己概念が文化や時代によって大きく異なることが示されている。例えば、西洋では個人の自立性が強調されるが、バリ島では個人は社会的カテゴリーの代表者として認識される。また、感情の表現や自己の特徴も文化によって大きく異なる。

具体的には、バリ島では個人の名前もその社会的カテゴリーを示すために使われる。例えば、バリ島の人々は生まれた順番によって名前が決まることが多い。第一子は「ワヤン」、第二子は「ニョマン」などと呼ばれ、これによりその人の位置が社会的に認識される。また、成人した後も、親になると「〜の父」「〜の母」といった呼び方がされ、さらに孫ができると「〜の祖父」「〜の祖母」と呼ばれる。

このように、個人の名前や呼び方がその人の社会的な役割や位置を示すために使われることで、個人は社会の中でどのような位置にいるのかが明確になる。バリ島の文化では、個人の行動や関係もまた、社会的カテゴリーや儀礼的な役割に基づいて行われる。友人関係や親族関係も、特定の社会的儀礼や形式に従って維持されるため、関係が予測可能であり、安定している。

ポストモダンの自己

社会的飽和の進行により、ロマン主義近代主義の自己概念が失われつつある。ポストモダンの時代に入り、自己の本質は疑問視され、個人の特徴は相対化される。ポストモダンの自己は、継続的な構築と再構築の状態にあり、真の自己の概念が後退する。

ロマン主義は19世紀に興った思想で、個人の感情、創造性、情熱、内面の深さを強調するものである。ロマン主義の自己概念は、個人が独自の内面的な世界を持ち、それが芸術や文学、哲学などで表現されることが重要とされている。この自己概念では、深く結びついた友情や恋愛、個人の精神的な探求が重視される。
近代主義は20世紀初頭から広まり、理性、科学、進歩を重視する思想である。近代主義の自己概念は、個人が合理的で論理的な存在であり、教育や道徳訓練、家庭生活の安定が重要とされる。この概念では、個人は自律的で自己決定権を持ち、社会的に有用であることが求められる。

  1. ロマン主義の自己概念 ロマン主義は19世紀に興った思想で、個人の感情、創造性、情熱、内面の深さを強調するものである。ロマン主義の自己概念は、個人が独自の内面的な世界を持ち、それが芸術や文学、哲学などで表現されることが重要とされている。この自己概念では、深く結びついた友情や恋愛、個人の精神的な探求が重視される。

  2. 近代主義の自己概念 近代主義は20世紀初頭から広まり、理性、科学、進歩を重視する思想である。近代主義の自己概念は、個人が合理的で論理的な存在であり、教育や道徳訓練、家庭生活の安定が重要とされる。この概念では、個人は自律的で自己決定権を持ち、社会的に有用であることが求められる。

社会的飽和の進行により、ロマン主義近代主義の自己概念が失われつつあるというのは、現代社会において個人の自己認識が多様化し、従来の固定的な自己概念が通用しなくなっていることを指す。

社会的飽和とは

社会的飽和とは、現代のテクノロジーやグローバリゼーションの進展により、個人が非常に多くの情報、コミュニケーション、関係性に同時にさらされる状態を指す。この状態では、個人の社会的関与や接触が過剰に増え、その結果として自己のアイデンティティや生活に影響を及ぼすことがある。

  1. 情報の洪水: インターネット、スマートフォンソーシャルメディアの普及により、個人は日々膨大な量の情報に触れる。ニュース、SNSの投稿、電子メール、メッセージアプリなど、常に新しい情報が流れ込み、個人の注意を引く。

  2. 多様なコミュニケーションチャネル: テクノロジーの進化により、コミュニケーション手段も多様化している。電話、メール、SNS、ビデオ通話など、さまざまなチャネルを通じて人々とつながることができる。これにより、同時に多くの人々と関わることが求められる。

  3. 関係性の複雑化: グローバル化により、物理的な距離を超えて多くの人々と関係を持つことができる。仕事、友人、家族、趣味のコミュニティなど、多岐にわたる関係性が増え、それぞれに対応する時間やエネルギーが求められる。

  4. 自己の断片化: 多様な情報や関係性にさらされることで、個人の自己認識やアイデンティティが断片化することがある。異なる状況や文脈に応じて異なる自己を演じることが求められ、一貫した自己像を保つことが難しくなる。

  5. 感情的・精神的な疲弊: 多くの情報や関係に対処することで、個人は感情的・精神的に疲弊することがある。過度の情報や関係性の圧力により、ストレスや不安が増加する可能性がある。

結論

ポストモダンの状況では、自己と関係性に対する従来の信念が脅かされ、新しい文化が形成されつつある。この変化が社会生活や個人の理解に与える影響について探求することが重要である。

第2章 ロマン主義から近代主義への自己概念の変遷

文化的形態は一旦形成されると、様々な生活の力によって侵食される。ジンメルはこれを「現代文化の葛藤」と呼び、文化的形態が完成するや否や、新たな形態が形成され始めると述べた。言語が私たちの間を流れるように、生活パターンも固定されたり解放されたりする。ここで重要なのは、これらの言語が自己の共通の概念から力を得ていることであり、これがなければ文化生活は無意味に陥るであろう。

人間の性格に関する対立する概念

  • ジェームズ: 工場の閉鎖について「ボトムライン」を強調し、成熟した人々が健全な理由に基づいて行動することを前提としている。
  • マージ: サムに対してもっと子供の世話をするように現実的な視点から助言している。
  • スーザン: キャロルに対して家の購入に関する論理的な判断を求める。
  • フレッド: 労働者とその家族の福祉を優先し、道徳的な感情に基づいて行動する。
  • サム: 妻のキャリアよりも子供を優先するべきだと感じている。
  • キャロル: 家の物理的な状態よりも内面的な響きを重視して行動する。

ジェームズ、マージ、スーザンは合理的な判断に基づいて行動する人々として描かれている。彼らは事実を精査し、合理的な決定を下すことを信じている。ジェームズの「ボトムライン」は、成熟した人々が健全な理由に基づいて行動することを前提としており、マージも同様に行動の結果を考慮することを期待している。スーザンの主張も、普通の人々が論理的かつ実際的であるという信念に基づいている。

一方、フレッド、サム、キャロルは、実用的な理性よりも道徳的な感情や忠誠心、自然な喜びに導かれる人間を理想としている。フレッドは労働者の福祉を優先し、サムは妻のキャリアを子供の上に置くことに反対している。キャロルは家の物理的な状態よりも、自分の内なる響きに従うことを選んでいる。

ロマン主義近代主義の自己

この章では、これらの対立する人間の性格の概念を探求する。私は、道徳的感情、忠誠心、内なる喜びの語彙が主にロマン主義的な自己概念から派生していると提案する。この概念は19世紀に頂点に達したが、現代でも非常に生き生きとしている。これは、人間の内なる深層に宿る見えない、さらには神聖な力を重視する視点であり、これが人生と関係性に意味を与える。

しかし、この自己概念は現代では廃れつつあり、理性と観察を中心とした近代主義的なパーソナリティに取って代わられている。近代主義は科学、政府、ビジネスに浸透し、日常の関係にも多大な影響を与えている。ロマン主義近代主義の両方の伝統は、私たちの生活における最も重要な語彙の一部であり、ポストモダニズムを評価する際の重要な背景となる。ポストモダニズムは、ロマン主義近代主義の現実の両方の妥当性を消し去る傾向がある。

ロマン主義の深層内面の現実

ロマン主義の時代、感情や内なる情熱は、人間の深層内面の表現と見なされていた。これは、理性や観察が優位であった啓蒙時代とは対照的である。ロマン主義者にとって、愛や友情は魂の深い結びつきであり、その喪失は深い悲しみを生むものであった。日記や文学には、死者との対話や死後の再会への期待が記録されている。これらの内面的な力が人生において重要な意味を持つと信じられていた。

近代主義の台頭

20世紀に入ると、ロマン主義のエネルギーは衰え始めた。これには、拡大する市場、マスプロダクション、戦争の影響がある。近代主義は、科学や技術の進歩に基づき、合理性と観察を重視する新たな意識形態を生み出した。これにより、民主主義や教育の発展が促進され、伝統的な価値観は問い直されることとなった。

結論

ロマン主義から近代主義への自己概念の変遷は、文化や時代によって異なる自己の理解を示している。ロマン主義の深層内面の現実は、個人の感情や魂の重要性を強調していたが、近代主義は合理性と観察に基づく自己認識を重視するようになった。この変遷は、現代社会における自己と関係性の理解に深い影響を与えている。

第3章 社会的飽和と自己の多様化

現代生活のランダムな瞬間を考える。例えば、郵便受けが広告やカタログ、政治的な発表、請求書、そして手紙でいっぱいになることがある。留守電には返答すべき電話が溢れていることがある。ビジネス同僚とのミーティングをニューヨークで設定しようとするが、彼女はカラカスで会議中。帰国すると自分はメンフィスにいる。会えない場合は長距離電話でミーティングを行う。友人が出張中に連絡してきて、飲み会や夕食を誘われる。新年のパーティーを計画しようと思うが、友人はみなコロラドやメキシコなどに出かけている。外出中にはお気に入りの番組を見逃さないようにVCRをプログラムする。モントリオールに数日滞在している間、アトランタからの友人に驚く。

これらの出来事は現代生活では一般的であり、特に珍しいことではないが、二十年前には一般的ではなかった。これらは社会的飽和の現れであり、私たちをより深く社会の中に浸し、他人の意見、価値観、ライフスタイルにさらすものである。この飽和は新しい自己意識、すなわちポストモダンへと私たちを導いている。この章では、社会的飽和がどのように日常生活を支配しているかを探る。また、自己が社会環境と一体化し、部分的なアイデンティティが社会的飽和を通じて自己に浸透し、多重人格の状態に陥る様子も考察する。

社会的飽和の技術

コミュニケーションは社会的現実を定義し、仕事の組織、教育システムのカリキュラム、フォーマル・インフォーマルな関係、余暇の過ごし方、基本的な社会生活の配置に影響を与える。

社会的飽和の過程では、関係の数、種類、強度が日々増加している。この変化の大きさを理解するためには、技術的な背景に焦点を当てることが重要である。ここでは、ロー・テクとハイ・テクの二つの主要な技術開発の段階を概観する。

ロー・テクの生活

ロー・テク段階の最も劇的な側面は、その多くの発展が同時に進行することである。鉄道は社会的飽和への最初の重要な一歩であり、19世紀中頃に始まり、1869年にはアメリカ大陸横断が可能になった。都市の公共交通機関も発展し、多くの国で新しい鉄道路線が敷設されている。

郵便サービスは鉄道や航空便の発展とともに拡大し、米国では1960年までに200万マイル以上の郵便ルートが整備された。自動車は20世紀初頭に普及し、道路の整備も進んだ。電話は20世紀初頭に日常生活に入り込み、世界中で使用されるようになった。ラジオ放送は1919年に始まり、社会生活のあらゆる側面に影響を与えた。映画も20世紀初頭に普及し、テレビとビデオカセットの登場により商業映画はさらに広がった。印刷された本も数百年にわたって思想や価値観、生活様式を広めてきた。

ハイ・テクの生活

過去二十年間で、航空輸送、テレビ、電子通信の発展により社会的飽和がさらに進行した。航空輸送の普及により、ビジネスやレジャーのための国際的な移動が日常的になった。テレビは商業放送が始まり、家庭での情報摂取が増加した。電子通信技術の進展により、コンピュータや電子メール、ファックスが普及し、グローバルなコミュニケーションが可能になった。

社会的飽和と多重化する自己

技術の進展により、人々は多くの異なる人物、関係、新しい状況、特別な感情の強さにさらされる。これにより、自己は他者の多様なパターンを取り入れ、自己の一貫性が失われることがある。社会的飽和が進むにつれて、自己は他者の特徴を取り込み、多重人格の状態に陥ることがある。この状態は、個々のアイデンティティの確立を難しくし、内面的な葛藤を引き起こすことがある。

結論

社会的飽和は、現代社会における自己と関係性の理解に深い影響を与えている。技術の進展により、自己は多様化し、自己認識が複雑化する一方で、伝統的な価値観やアイデンティティの確立が難しくなっている。この変化は、現代社会における新しい自己意識の形成に寄与している。

第4章 真実の危機

小さなアメリカの大学での学問生活は通常穏やかであるが、数年前に驚くべき出来事があった。言語理解の問題についてドイツの社会学者とフランスの文学分析家が招かれたことから始まった。一般的には注目されない話題であり、外国からの講演者ということもあって多くの聴衆を引きつけるかどうか心配された。しかし、日が近づくにつれ、講演に関する問い合わせが増え、学問界全体で大きな話題となった。講演は最終的に地域最大の講堂で行われたが、それでも聴衆を収容しきれなかった。

なぜこのような議論がこれほどの興奮を引き起こしたのか。その主な理由は、人間の理解に関する共通の概念に危機が迫っているからである。かつては、言語がアイデアや感情を表現し、それを理解することが話者の心を理解することだと考えられていた。しかし、知的生活の様々な変化により、これらの前提を維持することが困難になった。人々が互いの心を理解し、外の世界を客観的に説明する方法が不明確になりつつある。この章では、学問界におけるこの危機について探求する。

社会的飽和の進行

学問界における客観的知識への信頼が揺らぐことは、自己に関する信念にも深い影響を与える。ロマン主義的な自己概念は、人々が情熱、道徳的信念、創造的なインスピレーションを持つと信じるが、これらの信念は客観的な真実とされる前提に基づいている。しかし、学問界における現在の危機は、この前提を根本的に覆すものである。客観的な自己理解の試み自体が無意味であるとするならば、自己の本質を探求する必要もないことになる。

モダニズムと多重性の到来

経済学は非常に複雑になり、専門家同士が同じ言葉を話さないことが多くなっている。この多様性は、自己が多くの声を持つ存在として現れることを意味する。それぞれの自己は、異なるメロディーやリズムを持つ多くの他者を含んでおり、それらが必ずしも調和するわけではない。時には協力し、時には互いに聞かず、時には不協和音を生じる。この多重化する自己の結果、近代主義の客観的で知覚可能な世界への強い信念は揺らいでいる。

客観的真実の崩壊

ロバートという12歳の少年が万引きで捕まり、道徳的に欠如していると親が結論づけたシナリオを考える。しかし、異なる視点から見ると、彼の行動は親の無関心や家庭の緊張、友人との比較から来るものと解釈されるかもしれない。これにより、客観的な真実が単なる意見に過ぎないことが明らかになる。科学的客観性も同様に、複数の視点が増えることでその信頼性が揺らぐ。

結論

社会的飽和は、私たちの自己認識や社会生活に深い影響を与えている。多様な視点や価値観にさらされることで、自己の一貫性が失われ、客観的な真実への信頼が崩壊しつつある。この変化は、現代社会における新しい自己意識の形成に寄与している。

第5章 ポストモダン文化の出現

ポストモダン文化の出現は、現代文化の基盤を揺るがすものである。ハーバーマスは、モダニズムが支配的でありながらも既に死んでいると述べた。この章では、ポストモダン意識が芸術、科学、余暇活動、ニュースメディア、エンターテインメント、政治生活にどのように浸透しているかを探求する。

ポストモダニズムの特徴

ポストモダニズムは、モダニズムのプロジェクトを根底から覆すものである。客観的知識の基盤が崩壊し、複数の視点が増えることで、真実や誠実さ、信頼性といった概念が変質する。人間の特性に関する概念もまた、根本的に変わりつつある。

同一性の喪失

モダニズムの中心的な仮定は、世界が物理的な原子、化学元素、心理的状態、社会的制度といった「本質的なもの」で構成されているというものであった。しかし、視点の多様性が認識されるにつれ、物そのものは消失し、存在するものは視点によって定義されることが明らかになった。この結果、物そのものの仮定は無意味となる。

学問と文化の境界の曖昧化

学問分野においても、伝統的な境界が曖昧になっている。例えば、文学と歴史の境界はますます薄れており、フィクションとノンフィクションの区別も曖昧になっている。この現象は、音楽や建築、料理などの文化的領域にも及んでいる。

自己の多重性

自己の概念も変容し、多面的で多重化したものとなっている。ポストモダニズムは、個々の自己が多様な声を持ち、異なる視点や文脈の中で絶えず再構築されることを強調する。このため、自己の一貫性や固定的なアイデンティティは失われつつある。

知識の社会的構築

知識は社会的に構築されたものであり、客観的な真実という概念は疑問視されるようになった。言葉は現実を鏡のように反映するものではなく、集団の規範や価値観を表現するものである。この視点は、ニュース報道や政治的な出来事の捉え方にも影響を与えている。

ハイパーリアリティの概念

ジャン・ボードリヤールは、現代社会におけるハイパーリアリティの概念を提唱した。これは、現実が連続的に再現され、再解釈される過程で、現実そのものが消失し、代わりに現実のようなものが積み重なっていく状態を指す。この概念は、歴史的な出来事や個々の経験の理解に大きな影響を与えている。

結論

ポストモダニズムは、モダニズムロマン主義の自己概念を覆し、多様な視点と社会的構築の中で自己を再定義するプロセスを促進している。この結果、自己の一貫性や固定的なアイデンティティは失われ、文化的なアイデンティティや知識の構築に対する新たな理解が求められるようになっている。

第6章 ポストモダン社会における自己の変容

自己から関係へ

自己という概念が普遍的で永続的なものとして認識され続けるかはわからない。自己というカテゴリーは、我々の間でのみ、我々のために形成されたものである。自己の概念が消える可能性があることを念頭に置いて、ポストモダン社会における自己の変容について考察する。

文化の違いと自己の捉え方

自己という概念が異なる文化や時代によってどのように変わるかについて、多くの議論がある。

ある土曜日、母親がティーンエイジャーの娘と一緒にショッピングに出かけた。来週のパーティーのためにドレスを探していた母親は、黒くてシルバーのスパンコールがついた魅力的なドレスを見つけた。その大胆なデザインに母親は興奮し、すぐに試着室に向かった。

しかし、試着してみると、そのドレスが自分には合わないと感じた母親は、がっかりして娘に「これは私に合わない」と伝えた。母親の落胆した様子を見た娘は、優しい皮肉を込めてこう答えた。「でも、ママ、それがポイントじゃないよ。このドレスを着れば、本当に誰かになれるんだよ」。

このやり取りは、母親と娘がそれぞれ異なる価値観を持っていることを象徴している。母親は、自分に本当に合うものを探すというモダニズム的なアプローチを取っている。彼女にとって重要なのは、外見が内面の真実を反映しているかどうかである。一方で、娘はポストモダン的な視点を持ち、自己の本質や一貫性よりも、見た目や印象によって新しい自己を創り出すことに重きを置いている。娘にとって、ドレスを着ることは新しい自己表現の一形態であり、それによって「誰か」になることが可能だと考えている。このように、母親と娘の価値観の違いは、世代間の文化的変化を反映している。

このエピソードは、母親がモダニズムの価値観を持ち、娘がポストモダンの価値観に移行しつつあることを示している。ポストモダンの世界では、個々の本質に忠実であることよりも、絶えず変化する関係の中で自己が形成されることが重要である。

自己の変化のプロセス

社会的飽和が進むにつれ、伝統的な自己の指標は失われつつある。合理性、意図性、自己認識、持続的な一貫性などの指標は、次第に曖昧になっている。自己に関する伝統的な文化の声が力を失い、客観性が失われ、視点主義が台頭してきている。このような状況の中で、自己はもはや独立した存在ではなく、関係の中で形成される存在となる。

自己の多重性とポストモダン

モダニズムの下では、個人は孤立した機械のような存在であり、信頼性、予測可能性、真正性を持つと考えられていた。しかし、今日の多様な声の中で、個人の定義が揺らいでいる。個人は「生物学的な存在」「原子の束」「学習した習慣の集まり」など様々な観点から描かれ、その結果として自己の実体が失われている。自己はもはや独立した実在ではなく、複数の視点の中で形成される存在となっている。

文化的な事例

現代文化には自己の境界を曖昧にする事例が数多く存在する。例えば、映画「ロジャー・ラビット」では、人間とアニメキャラクターの間に愛と死の関係が描かれ、自己の定義が挑戦されている。また、性別の境界も崩れつつあり、トランスジェンダーや同性愛の増加、性のアイデンティティの多様化が進んでいる。これにより、自己の一貫性や固定的なアイデンティティはさらに曖昧になっている。

関係としての自己

ポストモダンの時代において、自己はもはや独立した存在ではなく、関係の中で形成される存在として再定義されつつある。自己の本質を持たず、関係性が自己を構築するという新しい時代に入っている。これにより、自己は他者との関係の中で絶えず再構築される存在となり、個人の自律性は関係性の中で相対化される。

結論

ポストモダン社会では、伝統的な自己概念が揺らぎ、関係性の中で自己が形成される新しい時代に突入している。この変化は、自己の一貫性や固定的なアイデンティティの失われ、新しい自己認識の形成を促している。ポストモダンの自己は、多様な視点と関係の中で絶えず変化し続ける存在である。

第7章 ポストモダンライフのコラージュ

20世紀の生活において確実性は例外であり、不連続性への適応が我々の時代の浮上する問題である。以下は最近の事例である。

  • ビジネスマン: デトロイトからニューヨークへの飛行機で隣の女性と親しくなろうとし、フロリダにいる妻に電話をかける。妻はデモインにいる妹が事故に遭い危篤であることを告げる。彼はロンドンへの夜行便で隣のイギリス人酪農家に同情を求める。翌日の同僚との昼食は陽気で賑やかだった。
  • コニー: ニュージャージーで幼少期を過ごし、親の離婚後は母親とサンディエゴへ移住。ティーン時代は両親の間を行き来し、コロラド大学卒業後はアラスカで漁船に乗り、ワイオミングでスキーインストラクターとして働いた。現在は南極の地質調査船で働き、ポートランドに住む男性と婚約している。
  • フレッド: 神経科医で、余暇をエルサルバドルの家族支援に費やす。既婚者だが、火曜と木曜の夜はアジア人の友人と過ごし、週末はアトランティックシティでギャンブルをする。
  • 哲学教授: サバティカルノルウェーに滞在中、スイスのヴェンゲンでスキーを楽しむ。リフトで隣になったイギリス人建設業者と7分間の会話で友情を深め、後で飲みに行く約束をする。
  • ルイーズ: ボストンの弁護士で、サンフランシスコで法を実践するカンザス出身のトムと結婚。トムの趣味はオークランドで黒人の友人とブルースクラブを経営すること。結婚式にはかつての恋人たちが招かれ、その多くは女性だった。

ロマンティックな伝統に染まった人々にとって、これらの場面は不安を呼び起こす。彼らは深い情熱や成熟した個性の欠如を嘆く。モダニストもまた、人格の一貫性と個人的安定感の喪失に戸惑う。しかし、ポストモダンの世界では、目的は寄せ集めに取って代わられ、個人の自己消失が文化的生活の一貫性の喪失と結びついている。

セルフの消失と文化生活の断片化

ポストモダン社会においては、自己の喪失が文化生活の一貫性の喪失と密接に関連している。個々の自己が消滅し、関係意識が浸透することで、文化的生活の特定のパターンが失われ、新たなパターンが賞賛されるようになる。伝統的なコミュニティでは、一貫した人格が支持されていたが、ポストモダン時代には自己が断片化し、場所や文化に左右される存在となる。

関係の断片化と技術の役割

技術の進歩により、人々は多様な関係を持つことが容易になった。バンクーバーの税理士はセントルイスの知人と電話で再会し、ニュージャージーの役員は飛行機でトルトラに飛び、瞬時に新しい関係を築くことができる。このように、技術は一貫した自己を持たない「キャラクターのない個人」を作り出し、断片化を助長する。

伝統的な関係の維持とポストモダンの影響

ポストモダンの時代には、伝統的な関係もまた維持される。テレビや映画、出版物を通じて、さまざまな伝統的な関係が文化に浸透している。視聴者は一夜にして複数の関係形態を経験し、その認識力を高めている。結果として、ポストモダンの世界では、どの瞬間でも様々な関係を模倣し、即座に演じることが可能である。

この章では、ポストモダン時代における自己の断片化と文化生活の一貫性の喪失を探求し、これが現代社会に与える影響について考察した。次章では、これらの現象がどのように未来に影響を与えるかについてさらに掘り下げていく。

第8章 自己更新と誠実さの追求

現代社会における自己更新と誠実さの問題について考察する。本章では、以下の点について述べる。

  1. 誠実さの重要性: 誠実であることの重要性は、現代社会においてますます増している。「自己に忠実であれ」という言葉が象徴するように、人々は自己の真実を見つけ出し、それに従って生きることを求める。

  2. 現代の文化的な兆候: 家族が夕食の前に祈りを捧げる光景、若いカップルが永遠の愛を誓う場面、学生が自分を見つけるために大学を中退することなど、これらのシーンは現代生活において珍しいものではない。これらの行動は、精神的な幸福、道徳的な価値、感情的な能力への関心の高まりを示している。

  3. ポストモダンの影響: ポストモダンの世界では、自己の一貫性が失われ、文化的な生活も断片化している。これにより、人々は新たな価値観や生き方を模索し始めている。

  4. 技術の役割: 新しいコミュニケーション技術の台頭により、他者の声がますます自分の中に取り込まれるようになった。これにより、自己の誠実さが疑われることが増え、文化的な価値観の維持が困難になっている。

  5. リーダーシップへのノスタルジー: 多くの人々は強力なリーダーシップを求めるが、現代の技術がその実現を妨げている。メディアの影響により、リーダーは真の自己を表現することが難しくなっている。

  6. コミュニティの役割: 伝統的なコミュニティが崩壊しつつある一方で、新しい形態のコミュニティが登場している。しかし、これらの新しいコミュニティは、伝統的な価値観を維持する力を持たないことが多い。

  7. 誠実さの半減期: 技術の進歩により、誠実さの感覚が薄れている。行動が他者の視線にさらされることで、その行動の誠実さが損なわれることがある。

伝統的なコミュニティの崩壊と新しい形態のコミュニティの比較

伝統的なコミュニティは、地理的に近接した人々が顔を合わせて生活する場であり、共通の価値観や文化を共有していた。これらのコミュニティは以下の要素によって成り立っていた。

  • 顔を合わせた交流: 近所付き合いや地域の行事を通じて、住民同士が直接的に交流し、絆を深めていた。
  • 一貫した価値観: 共有された信仰、伝統、道徳規範などがコミュニティの一体感を支えていた。
  • 地域社会の安定: 長期間同じ場所に住み続けることで、コミュニティの安定と一貫性が保たれていた。

しかし、現代の技術進歩や社会変動により、これらの伝統的なコミュニティは次第に崩壊している。具体的な要因としては、以下が挙げられる。

  • 移動の自由化: 交通手段の発達により、人々は容易に移動できるようになり、頻繁に引越しや転職を繰り返すことが一般的になった。その結果、長期間同じ場所に住むことが少なくなり、地域社会の安定が揺らいでいる。
  • デジタルコミュニケーションの普及: ソーシャルメディアやオンラインコミュニケーションの普及により、物理的な距離を越えて人々が繋がることができるようになった。これにより、地理的なコミュニティの重要性が低下している。

一方で、技術の進歩に伴い、新しい形態のコミュニティが登場している。これらの新しいコミュニティは以下の特徴を持つ。

  • バーチャルコミュニティ: オンラインプラットフォームを通じて形成されるコミュニティで、共通の興味や趣味を持つ人々が地理的な制約を受けずに交流することができる。
  • 移動型コミュニティ: 物理的な場所に縛られないコミュニティで、仕事や趣味など特定の活動を通じて一時的に形成されることが多い。例えば、リモートワークを行う人々が共通の場所に集まり、期間限定でコミュニティを形成するケースがある。

しかし、これらの新しい形態のコミュニティは、伝統的な価値観を維持する力を持たないことが多い。理由は以下の通りである。

  • 一貫性の欠如: 新しいコミュニティは、参加者が頻繁に変わるため、一貫した価値観や文化を共有しづらい。特にバーチャルコミュニティでは、顔を合わせることが少なく、深い絆を築くことが難しい。
  • 短期間の関係: 移動型コミュニティでは、関係が一時的であるため、伝統や文化を長期間にわたって維持することが難しい。これにより、深い信頼関係や共有された価値観の形成が困難になる。

伝統的なコミュニティは、一貫した価値観と長期間の安定した関係によって成り立っていたが、現代の技術進歩や社会変動により崩壊しつつある。一方で、新しい形態のコミュニティが登場しているが、これらは伝統的な価値観を維持する力が弱く、短期間の関係や一貫性の欠如が課題となっている。

第9章 評価と相対性

ロマンティシズムやモダニズムから離れるにあたり、冷静で反省的な方法ではなく、切迫した状況の中での移行が進んでいる。ロバート・ジェイ・リフトンは、「私たちの新しい状態についてどう評価すべきか?文化生活における得失はどうか?」と問うている。ポストモダンの影響については、本書全体で述べてきた。伝統的な理解や行動が侵食される一方で、ポストモダンの影響にはまだ多くの議論がある。

百年の損害報告書

自己を他者の目で見ることは目を開かせる経験であり、他者を自分と同じ人間として見ることは最低限の礼儀である。だが、自分自身を他者の中に見ることははるかに難しい。クリフォード・ギアーツは、「ローカル・ナレッジ」の中で、人間の生活が取る形式の一例として、自分自身を見ることが重要であると述べている。

本書の冒頭で述べたように、私たちは自己や他者を理解するために心理学的な言葉に大いに依存している。この言語は私たちの多くの関係パターンに組み込まれており、例えば、愛情関係や刑事裁判、宗教的機関などにおいて不可欠である。

ロマンティシズムの衰退

ロマンティシズムの時代には、個人の最も重要な要素はその内面にあるとされていた。情熱や永遠の愛、魂の交感、創造性などの言葉は、コミットメントや人生の目的への献身、他者への内在的価値の付与、道徳的洞察やリーダーシップへの信頼など、さまざまな社会的パターンを奨励した。しかし、これらのロマンティシズム的な概念は20世紀において大きく減少し、多くの場面で懐疑的または敵対的に見られるようになった。

モダニズムの台頭

モダニズムは啓蒙時代の言葉を復活させ、理性と観察が人間の心理の主要な要素であるとした。機械の比喩が支配的となり、社会科学がモダニズムの視点を強化した。完全に機能する個人は観察によって知ることができ、予測可能であり、文化によって訓練可能であるとされた。

ポストモダニズムの影響

20世紀の技術進歩と多様な視点への没入により、新たな意識、すなわちポストモダン意識が生まれた。この意識は、言語が現実を反映するものではなく、イデオロギーや社会的慣習、文学的スタイルによって支配されると疑うものである。ポストモダニズムは、個人の定義、理性、権威、コミットメント、信頼、真実性、リーダーシップ、感情の深さ、進歩への信仰などを失わせるものである。

結論

ポストモダニズムは、多様な可能性を認め、関係の現実を増大させるものである。ロマンティシズムやモダニズムの美徳を失うことなく、それぞれの視点が持つ問題点を認識し、相対的な評価を行うことが重要である。本書では、ロマンティシズム、モダニズムポストモダニズムの三つの視点が交錯する中で、それぞれの視点の美徳と問題点を探求した。