近世庶民教育における手習いの目的

服部 誠一
近世庶民教育における手習いの目的、学習の順序・教材、習字用の筆
埼玉大学紀要 教育学部編 (6), 39-54, 1957-00-00


少し昔の論文から。奥貫友山という名主が隠居後に残した文章に手習いついて書かれたものがある。奥貫という人物は現在の旧埼玉県入間那古谷村久下戸(現川越市)の者で、宝永2年(1706)に生まれ、天明7年(1787)に没している。

これによって,わかることは,七才八才から就学して手習を初め,実生活に必要な手紙・証交・願書などか,概略書けるようになったら,手習いをやめよ。そして,その手習いは御家流など和様の筆蹟を学び,中華風の筆蹟である唐様は絶対に学習してはならぬ。もし公文書を唐様で認めた場合には,公儀から,御しかりを受ける,ということを注意していることである。

友山の考えでは、必要な手習いだけはやっておいて、必要以上の教養は身に着けるべきではないということのようだ。むしろ、公儀から疎まれると考えていたようだ。

友山は,七八才の頃から手習いを始め,手習の間に素談を終り,素読がすんたら書物,つまり四書五経の類の儒教書物を読むべし。そして,目的とするところは,人の道である。五倫を明かにして,実行することである。学問をすると,とかく公事のかしらになったり,与力同心などの株を買って,いわゆる立身出世がしたくなるが,これはいけない。

友山の考え方は学問は立身出世の手段ではなく、道徳を学ぶ手段であるというものである。これはまだまだ学問吟味を始めた柴野栗山的な感覚が生まれていないということであろう。手習いと道徳を結びつけるのは18世紀の前半、もしくはその時代に生きた人々によくある言説である。

寺子屋の師匠について,二年か三年ぐらいの手習いを受けたと想像される者−−商人の受けた商品の通帳,農民の記録したものなど−を今日見ると,それは,たしかにむさくるしいところはあるにしても,とにかく生活に間に合うだけのものを,身につけでいた,と私には考えられる。

それはその通りだろう。