井出草平の研究ノート

アレン・フランセス「「行動嗜癖」という概念には、われわれはみな「行為依存者」だとする根本的な欠陥がある。快楽を繰り返し求めるのは人間の本質の一部であり、当たり前すぎて精神疾患とは見なせない」

行動嗜癖の下位概念にゲーム障害やインターネット依存症などがあるので、ここはゲーム障害やネット依存症と読み替えてもよいだろう。

この本の著者は、現在使用されている精神医学の診断基準DSM-5の一つ前のDSM-IV編集委員長であったアレン・フランセスである。この本は、フランセスがDSM-5が編纂されるにあたり、現在の精神医学が抱える様々な問題を指摘した本である。

ゲームやネットを精神疾患として規定するバカバカしさがフランセスの言葉に集約されているように思う。

最近は文科省のパンフレットなどにも行動嗜癖が掲載されるようになってきた。DSM-5もICD-11も行動嗜癖概念は却下している。世界標準の診断基準を無視してまで、行動嗜癖概念を日本中に広めるモチベーションは何か、というのは気になるところである。

日本語版292-3頁。

嗜癖」という語は、あらゆる熱中や傾倒を含むものへと拡大解釈されつつある。かってのそれは限定されていて、薬物やアルコールへの身体的な依存のみを指していた--ハイになるための量がしだいに増え、やめれば重い離脱症状が出るような依存だ。その後、「嗜癖」は強迫的な薬物乱用も指すものへと拡大された。これに陥っている人は、もうなんの意味もないのに、薬物を摂取しなければならないと感じる。快感は消え失せ、重大な悪影響があるだけなのに、つづけずにはいられない。最近では、種類にかかわりなく、頻繁な薬物の使用に「嗜癖」が軽々しく不適当に用いられている--まだ強迫的な使用に至っていない、純粋に快楽を求めての使用であっても。DSM-5は拡大解釈の最後の段階を踏み、われわれはアヘンに病みつきになる人とちょうど同じように、好みの行為に依存しているのだとしている。
「行為嗜癖」という概念には、われわれはみな「行為依存者」だとする根本的な欠陥がある。快楽を繰り返し求めるのは人間の本質の一部であり、当たり前すぎて精神疾患とは見なせない。

原版。

The term “addiction” is being stretched to include any passionate interest or attachment. It was once narrowly restricted to describe physical dependence on a substance or alcohol—you needed more and more to get high and had painful withdrawal symptoms when you stopped. Then “addiction” was expanded to cover compulsive substance use. The addict is someone who feels compelled to take the drug even though it no longer makes any sense. The fun is gone and there are grave negative consequences, but he is driven to continue. Lately, “addiction” is loosely and incorrectly applied to any frequent drug use—even if it is purely for pleasurable recreational purposes, not yet compulsive. DSM-5 takes the final broadening step that we are just as addicted to our favorite behaviors as someone who is hooked on opium.
The concept of “behavioral addiction” has the fundamental flaw that we are all “behavioral addicts.”