ゲーム障害は従来からの不登校臨床技能を援用すべき

宮脇大さんのゲーム障害のレビュー。ジャーナルが家に届いたところなので、文献情報がまだ掲載されていないようだ。

宮脇大「ゲーム症- Gaming Disorder-」
『児童青年精神医学とその近接領域』61 (1) ;4 1-54 (2020)
http://child-adolesc.jp/kikansi/

現在の研究状況が整理され分かっていること、分かっていないことが明確に整理されており、この概念の推進、反対ともの意見が併記されている。非常にバランスのよいレビューだと思う。

論文の最後は宮脇さんの主張である「ゲーム症に従来からの不登校臨床技能を援用」について書かれてある。

現時点ではゲーム症に従来からの不登校臨床技能を援用すべきという私見について述べる。専門家から一般の方に書かれているゲーム症に関する解説は次のような言説が多い。 「ゲーム依存になると,勉強しなくなり,成績が下降する。昼夜逆転し,不登校,ひきこもりの生活になっていくことが多い。長時間のゲームは食生活の乱れや体力低下につながり,脳の神経細胞にダメージを与えることが明らかになってきた。親からゲームを制止されると,子どもは暴言や暴力に至ることがある。ゲーム依存症は,若者の将来を閉ざしてしまう病気である。」などである。また「ゲーム依存は,本人の動機付けが乏しく,進行すると薬物依存症より治療が難しい」と,放送局側の質問の仕方や編集の影響もあるだろうが,ことさら"治りづらい"ことを印象づける専門家がコメントをするテレビ報道もあった。おそらくインターネットやスマートフォンの普及によって,多くの人がゲームの魅力を事受できる現代の陰性面を強調する目的でのゲームへの公衆衛生的啓発であると思われた。しかし,これらの報道により,わが子が"治りづらい"病気になったことを危惧して,受診させる保護者が増えている印象がある。ところが,我々,子どもの精神保健に関わる専門家は,まだこの"治りづらい"ゲーム症への治療戦略を持ち合わせていない。行動嗜癖という新たな視点を持ち,今後のゲームが子どもに与える影響と治療の研究成果を注視する必要がある。同時に,我々は不登校の子どもへの支援の基本姿勢「子どもが自立した青年になっていくプロセスに併走する」(山崎,2019)についても思い出すべきであろう。ゲーム症を疑われて受診する子どもの多くは,以前から学校,つまり同世代集団との間になんらかの関係性の不具合を持っている。ゲーム行動を今ここで改善すべき行動嗜癖とみなすべきか,あるいは現状ではやむを得ないコーピングとみなすべきか,子どもと家族のデジタルメディア親和性や親子関係性の質はどの程度か,子どもがゲーム場面以外にどれくらいの心理的な居場所を持つのか,ゲーム仲間との関係性を手放せるタイミングはいつなのか,などの評価が必要と思われる。ここには,本邦で培われてきた,神経発達症特性や家族機能の見立てを含めた不登校多軸評価(齊藤,2015)など不登校臨床の技能が生きると考える。また不登校の親への支援の基本姿勢は「子どもの将来を案ずるがあまり,拙速に子どもに対応し関係性が悪くなりがちな親に対して,予後は悪くないことを保証しつつ,子どもの自立を促進する対応ができるように援助する」ことではなかろうか。我々は,ゲームをはじめとするデジタルメディアにいったんは沈溺していた不登校の子どもが,家族の支援によって,時にはオンラインゲーム仲間の支えによって,社会と再会していく長期経過を見てきたはずである。我々支援者が,子どもと家族への基本姿勢を忘れた時に,ゲーム症は真に"治りづらい"行動嗜癖として具現化するのかもしれない。

不登校支援をゲーム障害の治療戦略とすべき、という主張はもっと着目されるべきだと思う。

ゲーム障害を推進している、久里浜医療センターはもともとアルコール依存への対応が多く、対応していた年齢層も成人であった。ゲームの問題を抱えるのは未成年が多いため、成人へのアプローチを児童思春期に当てはめると、ちぐはぐな感じがするというのが正直な印象である。端的に言えば、ゲームの問題だけを取り出していて、問題を抱えた子どもたちの生活や家庭、どのような子どもたちがどのように困っているかといった背景が全く見えてこないのである。

宮脇さんは児童精神科の医師だが、児童青年の分野は、精神障害だけではなく、社会や学校、人間関係、親子関係など総合的な対応が必要な臨床現場である。成人の臨床がそうではない、ということではないが、成人で有効な投薬治療が未成年ではそれほど有効ではないというケースが多々あるため、児童青年の医療者や支援者たちは、心理・社会的なアプローチを重点的にせざるを得ないし、そういったアプローチが得意でないと、臨床が成立しない分野でもある。

学齢期にネットやゲームの使用時間が問題になるほど多いということは、学校に行っていないとみて問題ない。つまり不登校である。学校に登校することが必ずしも正解ではないが、宮脇さんがいうように、ネットやゲームに多大な時間を費やす以前から、学校や友だちとの間で問題があったり、他の精神障害があったりケースが多い。そういう問題に対する包括的なアプローチが「従来からの不登校臨床技能」なわけだから、従来の不登校にゲームに熱中しているという要素が付け加わっている、というのが臨床の視点であろう。

幸いにも、日本では、不登校への支援の蓄積が少なからずあり、支援をする人材も多いとは言えないが、存在している。そういった蓄積が着目されないのはなぜか、という疑問が湧くのは当然であろう。実際、児童精神科にゲーム障害やそれに準じるゲーム利用時間の長い子どもが来ることは稀ではなく、医療者や支援者はそれに対して「従来からの不登校臨床技能」で対応している。現実に機能している臨床・支援ではなく、スマホやゲームの時間制限や覚醒剤と同じだなど不安をまき散らす人たちに焦点が当たるのは百害あって一利なしなのであって、アジェンダ設定を変えていく必要があるだろう。

文献

子どもの精神科臨床

子どもの精神科臨床

  • 齊藤万比古(2015):子どもの精神科臨床,星和書店

不登校支援の手引き―児童精神科の現場から

不登校支援の手引き―児童精神科の現場から

  • 作者:山崎 透
  • 発売日: 2019/01/25
  • メディア: 単行本

  • 山崎透(2019):不登校支援の手引き児童精神科の現場から,金剛出版.