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1. 全体の軸:娯楽の「道徳評価」は単純には変わらない
17世紀から現代にかけて、賭博(偶然のゲーム)に対する道徳的態度は直線的に「厳しくなる/緩くなる」といった単純なものではなく、かなり複雑に変化する。大づかみには、賭博は「危険な情熱」「重い悪徳」という見方が広がる一方で、実際の遊びの側は、偶然の比重を減らし、計算や知的努力の比重を増やす方向へ寄っていき、結果としてカードやチェスなど一部の遊びは「賭博一般」への無条件の断罪から外れやすくなる、という構図が示されていた。
ここで重要なのは、作者が「社会が娯楽の道徳に無関心だった」と言い切っているのではなく、娯楽をめぐる“規範化”の力(誰が何を禁じ、何を許すか)が強まる過程を追っている点だ。つまり、実態(人々が遊ぶ)と規範(上が禁じる)がズレたまま並走し、その緊張関係こそが問題になっている。
2. ダンスの位置:賭博とは別ルートで「問題化」される
賭博とは異なる軌道をたどった娯楽として、ダンスが取り上げられる。子どもと大人が共に踊るダンスは日常生活に大きく入り込んでいた。現代の感覚では、賭博の一般化よりも、むしろこちらのほうが“ショックが小さい”かもしれない、という含みもあった。
さらに、宗教者自身も(少なくとも17世紀に共同体改革運動が本格化する前には)折に触れて踊っていたとされる。たとえばモビュイソン修道院の生活では、晩課を早々に済ませて外へ散歩に出て、近隣の修道士(ポントワーズのサン=マルタン)と修道女たちが踊る場面が語られる。これは改革者アンジェリック(アンジェリック・アルノーの系譜)側から見れば「世俗的すぎる」「修道生活の精神に合わない」ので腹立たしいが、同時代の世論においては、現代の我々が想像するような「男女の宗教者が抱き合って踊る」類の衝撃とは違って、必ずしも同程度のスキャンダルではなかった、という論点になる。
あなたの質問「アンジェリックが怒ったということは古かったのか」に即して言えば、怒りは「古い/新しい」よりも、改革派の規律感覚と、既存の慣習のズレを示す指標である。すなわち、かつては許容されていた(少なくとも黙認されやすかった)慣習が、改革の視点から「不適切」と再定義され、同じ行為が別の意味を帯びていく、という構図である。
3. 「スール(soule)」とは何か:踊りではなく集団球技である
本文に出る「ballon—ou soule」は、舞踏会(ball / bal)と同語源っぽく見えるが、ここでの話は基本的に踊りではなく球技である。スール(soule)は、地域差を持つ伝統的な集団競技で、しばしば二陣営に分かれて球(革袋など)を奪い合い、一定の地点へ運ぶ。本文でも「独身対既婚」「村対村」など二陣営の対抗として説明されていた。したがって「球を使って踊るのか?」という疑問への答えは、本文の中心は球技(スール)と、別枠としての“踊り(ronde)”であり、球を使って踊るという話ではない、となる。
ただし、同じ祭礼の一日の中で、歌(典礼)→集団球技(スール)→最後にカノンが輪舞(ronde)のように、儀礼・遊戯・ダンスが一続きの行事として編成されることはありうる。つまり「混ざってはいるが、同一行為ではない」という整理が妥当だ。
4. 教会・学校の禁止:遊びは「全面的に悪」とされやすい
続く部分では、アンシャン・レジーム社会で遊び(身体遊戯、社交遊戯、賭博)が非常に大きな比重を占めていたこと、そしてそれに対して教会が全面的な非難をぶつけたことが語られる。中世以来、特に学寮・学院のような聖職者予備軍の共同体では、統制が強い。イギリスの大学史家ラシュダルが「無害な余暇」という概念をほとんど認めないような規則に驚いた、というくだりは象徴的である。賭博は不道徳、社交遊戯やダンスや喜劇は不品行、身体遊戯は乱闘に発展しがちだとして抑え込まれる。
具体例として、1379年のナルボンヌ学院の規則では、危険な球技(パーム、ホッケー類)や、賽や金銭賭博、さらには宴会(どんちゃん騒ぎ)が罰金対象として並列に置かれた。「たまに・稀に」だけ“正直な娯楽”を許すが、賭けの対象はワイン1パイントや果物程度、しかも静かに・手短に、という具合に、扉を少しだけ開ける形になっている。この「扉を少しだけ開ける」こと自体が、作者にとっては、むしろ禁欲的規範の不安定さ(すぐ逸脱に吸い込まれる)を示す皮肉な材料になっている。
あなたの質問「6ドゥニエ、10スーはどれくらい重いか」については、貨幣体系としては一般に 1スー=12ドゥニエ、1リーヴル=20スーである。よって「6ドゥニエ」は半スー、「10スー」は半リーヴルに近い。もっとも、罰金の“重さ”は物価や所得や地域差で変わるので、本文レベルでは、金額そのものよりも「球技(危険)」「賭博(不道徳)」「宴会(放縦)」を同列に抑圧し、秩序維持の装置として罰金が働いている、という点が本旨である。
5. 禁止の執拗さ:効かないのにやめない(規範の持続)
セー(Sées)学院の1477年規定でも、賽はもちろん、許されがちなパーム球戯ですら共同空間では避け、やるにしても「頻繁に続けるな」と抑える。モントーギュ学院(1501)では「身体運動」の名のもとに許容されるのが、ゲームというより家事雑務(台所・掃除・給仕)で、しかも迅速・強健にやれ、と来る。ゲームはその後に、共同体長が「疲れた精神をほぐす必要がある」と判断した場合に限り“容認(indulgebit)”される。ここでも余暇は権利ではなく、上からの許可で付与されるものだ。
1452年のパリ大学改革では、不道徳な踊りや服装を禁じつつ、「正直で快い遊び」は労苦を和らげるために許す、という二段構えになる。さらにヴィヴェスの対話篇が示すように、建前ではパーム球戯しか許されなくても、実際にはカードやチェス、さらには賽も秘密に行われる。要するに、実態としては遊ぶが、規範としては禁止し続ける。そして作者は、禁止が効かないこと自体では揺らがない「原理への執着」を、近代人の“効率志向”と対比させている。
6. 司法・警察の参加:遊びは準犯罪的に扱われる
ここに司法・警察官僚が加わる。秩序と統治を愛する法律家として、彼らは教師・教会の路線を支え、学童の賭場・遊戯場へのアクセスを禁じる命令を何世紀も繰り返す。1752年のムーランの警察命令では、授業時間中のパームやビリヤードの提供を禁じ、ボウリング状の球技や九柱戯などは「学童と奉公人」に対して全面的に禁止される。奉公人が学童と同列に置かれるのは、同年齢で統制が効きにくく、騒擾の担い手になりうると見なされたからだという説明が付く。
また、ボール遊びや九柱戯は現在のイメージでは穏当だが、当時は乱闘の火種になり、16〜17世紀には全面禁止されることもあった。ここでのポイントは、遊びが酩酊や売春と同様、「限度内なら黙認されるが、行き過ぎれば即禁止すべき準犯罪的行為」として統治の枠に入れられていく点である。
7. 転換点:イエズス会が「遊びを教育へ取り込む」
こうした絶対的な断罪は、17世紀に入り、とりわけイエズス会の影響で修正される。ルネサンス人文主義が遊びの教育的可能性を見た先行はあるが、制度としてそれを「正規の教育プログラム」に組み込む方向を押し出したのがイエズス会の学院である、という筋書きだ。
彼らは遊びを根絶するのは不可能で、また望ましくもないと判断し、逆に 選別し、規則化し、統制したうえで公式化する。こうして「良い」と認められた娯楽は、学業と並ぶ教育手段へ格上げされる。ダンスは身体の調和、身のこなし、姿勢、洗練(bel air)を育てるとして学院で教えられるようになり、喜劇・演劇も導入される。バレエすら、修会当局の反対を押し切って浸透し、1650年以後は悲劇にバレエの挿入がほぼ常態化した、という描写が続く。
8. 体操・体育・軍事:身体運動が「衛生」と「国家」に接続される
1602年の版画アルバム(Crispin de Pos)が、授業・図書館と並んでダンス授業やパーム球戯やボール競技を描いている、という指摘は象徴的である。教育が、かつて禁圧していた遊びを、いまや積極的に採用し始めたことを示す素材だ。
さらにイエズス会は、推奨する遊びの規則をラテン語の体操論として出版する。啓蒙期の医師たちは、旧来の「運動遊戯」やイエズス会の体操を土台に、身体衛生の新技術としての「体育(culture physique)」を構想する。フェヌロンの「子どもは身体が動く遊びを好む」という言明や、成長期には身体をよく動かすべきだという教育論、身体遊戯が全身と呼吸を鍛えるという医学的推奨が続く。
そして18世紀末になると、運動遊戯が愛国的・軍事的な意味を帯びる。軍隊の訓練が“ほとんど学問的”技術となり、近代ナショナリズムが芽生える時代に、教育的遊戯(イエズス会)—医学的体操(医師)—兵士の教練—愛国の要請が同一系列に結びつく。統領政府期の書物では、「軍事訓練が体操の基礎であり、子どもは生まれる前から兵士だ」という露骨な言い方が提示され、身体教育が国家目的へ強く接続されていく。
9. 二つの並行変化:暴力的遊戯の“近代化”と、遊びの“年齢・身分別分化”
ここまでの変化を、作者は「道徳・健康・公益」への配慮が指揮した、とまとめる。つまり、かつて暴力的で疑わしいとされた古い慣習の遊びが、教育・衛生・軍事の言語に翻訳され、取っ組み合いのような民衆的遊戯から体操協会へ、という転換が起きる。
同時に、もう一つ別の変化が走る。もともとは社会全体に共通だった遊びが、年齢や身分によって専門化・分化していく。ダニエル・モルネの回想が引かれ、19世紀ブルジョワの若者が家のダンス集いでやっていた「小さな遊び」が、実ははるか昔(「250年前どころではなく」中世末期から)上流社交界の洗練された遊戯だった、という歴史の反転が示される。
中世末期の「jeux-partis」「jeux à vendre」では、花や物の名を投げかけ、相手が即興で褒め言葉や韻文で返す。クリスティーヌ・ド・ピザンが多数の詩句を作ったという例(タチアオイを「売る」)もここに位置づく。この「売る」は商売ではなく、社交儀礼としてのお題提示・言葉の贈与に近い。宮廷的機知が民謡へ、子どもの遊びへと移り、しかし大人も長く手放さない。19世紀のエピナル版画が同種の遊びを「昔の遊び」と題しているのは、それが流行の中心から退き、地方的・子ども的・民衆的と見なされ始めたことを示す。
また遊びの一部は子どもの遊びとして“無害化”される一方、別の一部は、以前から道徳家(エラスムスのような穏健派ですら)が曖昧で無垢ではないとして警戒した性格を残し続ける。つまり、遊びは単に消えるのではなく、位置と意味と担い手が変わっていくのである。
10. 教会の話が中心だが、民衆は別ではないか?
結論としては「別」。ただし本文は、民衆の日常を直接描写しているというより、民衆の日常(遊ぶ・踊る・賭ける)が、上からどう“問題化”され、どう“取り締まり・教育・矯正”の対象にされていくかを追っている。ここを取り違えると、本文が「当時の人々はみな禁欲的だった」と言っているように読めてしまうが、むしろ逆である。
本文の主素材は規範文書である 学院規則、教会の禁令、公権力の布告といった「こうあるべき」「禁じる」という文書は、そもそも現実をそのまま写す鏡ではない。これはエリートの統治・教育の言語であり、現実を「逸脱」へと再記述していく装置である。したがって、本文が強く描くのは「遊びそのもの」より「遊びに貼り付けられていく意味」(不道徳・乱闘・怠惰・統制不能)である。
それでも“実態”が推測できる理由がある 禁止命令が反復されることは、単純に言えば「無くならないから繰り返す」可能性が高い。本文も「禁令の厳格さは、非効率(効かないこと)で揺らがない」という調子で、まさにこの緊張を指している。 ただしここは慎重に言うべきで、反復は「実態が強かった」だけでなく、「行政が同じ型の命令を更新し続ける慣性」でも起こる。とはいえ本文が提示する多数の具体例(学童・奉公人・共同空間・酒場・賭博・乱闘)が、単なる形式の反復以上の“摩擦”を示しているのも確かである。
「民衆」は一枚岩ではない 都市の職人層、農村、奉公人、学童、若年の独身男性、女性、修道院周縁の人々では、遊びの場所も意味も違う。本文がしばしば「学童」「奉公人」を強調するのは、遊びを“道徳”だけでなく“治安・統制”の問題として見たとき、彼らが最も管理対象になりやすいからである。 つまり本文は「民衆の自由な余暇」を描くというより、民衆の行為が、どの集団から、どの名目で、どの場面で締め付けられるかを描いている。
要するに、民衆の生活実態は本文の主役ではないが、本文は民衆を無視しているわけでもない。民衆の遊びが「現にそこにある」ことを前提に、それが近世にかけて徐々に“統制可能な形”へ押し込められる、その過程を描いているのだと整理できる。
12. 舞踏会 ball / bal と関係があるか
ここは誤読しやすい“見かけの近さ”があるので、二段で整理するとよい。
語としては「bal(舞踏会)」と「ballon(球)」は別筋である 英語の ball(舞踏会)はフランス語 bal(踊り/舞踏会)から来る語で、これは「踊る」を意味する語群(ラテン語 ballare)に連なる。一方、本文の ballon は「球」であり、スール(soule)のような球技に出てくる“ボール”である。 したがって、本文で ballon / soule が出てきたからといって、舞踏会(bal)の話へ直結させるのは筋が悪い。
ただし“行事の編成”としては並置されうる あなたが読んだ箇所の肝はここで、祭礼や共同体行事の中では、 典礼(歌・祈り)→集団球技(スール等)→輪舞(ronde) のように、宗教的・遊戯的・舞踊的要素が一日の流れに“編成”されることがある。そこで「球」と「踊り」が同じ場に現れる。 つまり関係は「語源的に同一」ではなく、「社会史的に同じ祝祭空間に同居しうる」という種類の関係である。
この区別(語の系譜/行事の共存)を切り分けると、本文の論旨がクリアになる。
13. 余暇が必要という考えはいつから“良い考え”になったか
本文の範囲で言えるのは、「余暇=権利」というより、余暇が“教育・衛生・公益(のちには軍事・愛国)”のために管理されるものとして正当化されていくという転換である。ここを厚めに言い換える。
出発点:余暇は“放縦・逸脱”に吸い込まれやすいものとして疑われる 中世〜近世初期の規則文は、遊びを(賭博の不道徳、社交遊戯の猥雑、身体遊戯の乱闘化)として一括して疑う傾向が強い。ここでは「人間には休みが必要だ」という発想は、あっても非常に控えめで、「たまに、稀に、静かに、短く」といった形でしか出にくい。余暇は権利ではなく、上からの許可・容認として現れる。
転換点:遊びを“飼いならす”発想(選別・規則化・監督)が出てくる 人文主義教育や、本文が強調するイエズス会の学院が典型で、遊びを根絶するのではなく、 ①害の少ない形を選ぶ ②規則を与える ③監督のもとで組み込む という手つきで、遊びを教育手段へ転換する。ここで初めて、余暇は「削るべき悪」だけではなく、「正しく使えば有益」という地位を得る。 ただしこの肯定は、あくまで“統制された余暇”の肯定であり、自由放任の肯定ではない。
啓蒙期以降:衛生(健康)としての正当化が強まる 医師たちが運動遊戯を身体衛生の技術へ取り込み、「成長期には身体を動かすのが必要だ」という形で肯定が拡張される。ここでも余暇は、自由のためというより、身体の管理・改善のために正当化される。
18世紀末〜:愛国・軍事への接続 本文が示すように、運動・体操は「戦争準備」「国民形成」と結びつき、余暇(運動)の正当化はさらに強化される。ここでは余暇は、もはや単なる休息ではなく「公益」「国家目的」に奉仕する訓練として意味づけられる。
まとめると、本文が描く「良い考え化」は、「余暇そのものを尊重する」というより、余暇を“有益な装置”に変換することで許容が拡大するという筋である。現代的な「余暇は個人の権利・幸福の要件」という発想は、本文の射程からはもう少し先(産業社会の労働時間制度・労働運動・福祉国家の議論)に寄る。
14. スー/ドゥニエの貨幣価値
4-1. まず体系(計算単位)を確定する
旧フランスでは、基本の勘定単位として
- 1リーヴル(livre)=20スー(sou / sol)=240ドゥニエ(denier)
- 1スー=12ドゥニエ
- よって 6ドゥニエ=0.5スー(半スー)
- 10スー=120ドゥニエ=0.5リーヴル(半リーヴル)
という関係が基本である。これは「貨幣(コイン)そのものの価値が常に一定」という意味ではなく、まずは勘定のための基準として押さえるべき骨格である。
4-2. つぎに難所:時代・地域で“実質”がぶれる
「どのくらいの重さ(負担)か」を言うのが難しい理由は、同じ“リーヴル/スー/ドゥニエ”でも、
- リーヴル・パリジ/リーヴル・トゥルノワのように系統が複数ありうること
- 金銀比価、改鋳、品位(含有量)などで名目と実質が変動しうること
- 物価・賃金は地域と時代で大きく違うこと
の三重の揺れがあるからである。
4-3. 賃金比でみた「6ドゥニエ」「10スー」の目安
中世末〜近世初頭を念頭に、同時代の賃金資料(例)。
たとえば14世紀末(ルーアン周辺)の建設労働で、非熟練が1日24ドゥニエ、熟練が1日48ドゥニエといった数字が引かれている(もちろん場所と職種の一例である)。
この例に沿って、機械的に比率を出すと、
6ドゥニエ(半スー) 非熟練24ドゥニエ/日なら 約0.25日分(1/4日) 熟練48ドゥニエ/日なら 約0.125日分(1/8日) → 「痛いが致命傷ではない」タイプの罰金になりやすい。
10スー=120ドゥニエ=半リーヴル 非熟練24ドゥニエ/日なら 約5日分 熟練48ドゥニエ/日なら 約2.5日分 → こちらは、行為を抑止するには十分に重い。少なくとも「軽い注意」ではなく、相当に効く可能性がある。
15. アンジェリック・アルノーとアンジェリック・ド・サン=ジャンについて
アンジェリック・アルノー(Mère Angélique Arnauld)
- 本文では、17世紀初頭にモビュイソン修道院へ赴いて改革を行った修道院改革者として登場した。
- モビュイソンの生活は「不品行というより世俗的すぎる(mondaine)」と描かれ、彼女がそれを修道生活の規律へ引き戻す役を担った、という出方である。
- 史実としても、彼女はポール=ロワイヤル(Port-Royal)の改革後、モビュイソンを含む他修道院の改革にも関与した人物として知られる。
アンジェリック・ド・サン=ジャン(Mère Angélique de Saint-Jean Arnauld d’Andilly)
- 本文では、モビュイソンでの「修道女たちと修道士たちが踊った」逸話を、後世に伝える語り手(回想・伝記・記録の側)として登場した。
- とくに、修道士・修道女の輪舞(ronde)に対して「憤った(憤慨した)」人物として位置づけられ、その憤慨が、改革派エリートの厳格な規律感覚を象徴する働きをしていた。
- 史実としても、彼女はポール=ロワイヤル系の指導的修道女で、論争期には強硬派として振る舞い、回想・著作も多い。
アンジェリック・アルノー
- 本名:Jacqueline-Marie-Angélique Arnauld(1591–1661)。通称「ラ・メール・アンジェリック(Mère Angélique)」
- 立場:シトー会系の修道院ポール=ロワイヤルの女子修道院長(abbess)で、のちに同修道院はジャンセニスム(Jansenism)運動の中心の一つとして知られるようになる。
- 特徴:若年で修道院長となったのち、回心を契機に修道院を厳格に改革し、沈黙・禁域・規律・清貧などを徹底する方向へ共同体を作り替えた改革者である。
- モビュイソンとの関係:ポール=ロワイヤル改革後、モビュイソン修道院を「規律ある生活へ戻す」改革に関与した、と同時代・後世の叙述で語られる。
アンジェリック・ド・サン=ジャン
- 本名:Angélique de Saint-Jean Arnauld d’Andilly(1624–1684)。ポール=ロワイヤルの修道女(のち女子修道院長)。
- 家系・関係:アルノー一族(ジャンセニスムで著名な一族)に属し、アンジェリック・アルノーの姪にあたる人物として説明されることが多い。
- 特徴:ジャンセニスム論争(署名問題など)の中で、権力側への妥協を拒む強硬・不屈の路線を体現した指導者的修道女であり、著作(手紙・回想・論考)も多い。
- 今回の本文での役割:彼女は「改革派の道徳感覚」を担う存在として、過去の出来事(修道士・修道女の踊り)を逸脱として“憤る”語り手の位置に置かれていた。
16. ポール=ロワイヤルとは何か
ポール=ロワイヤル(Port-Royal)は、フランスにあったシトー会系の女子修道院(修道院共同体)で、17世紀フランスにおいて宗教的・知的にも非常に大きな影響力を持った場所である。中心となるのはパリ近郊のPort-Royal-des-Champs(ポール=ロワイヤル・デ・シャン)で、のちに共同体の一部がパリ市内(Port-Royal de Paris)にも拠点を持つようになる。
この修道院は、17世紀にはジャンセニスム(Jansenism)の中心地として名高い(論争の焦点にもなった)ため、「ポール=ロワイヤル」と言うと、単なる修道院の地名以上に、厳格な敬虔・規律・改革派の宗教文化を指す含意を帯びることが多い。
ポール=ロワイヤルの改革とは何か
今回読んだ範囲で直接関係する「改革」とは、主にメール・アンジェリック(アンジェリック・アルノー)が主導した修道院改革を指す。彼女はポール=ロワイヤルの女子修道院長として、共同体の生活をより厳格な修道規律に立ち返らせる方向で改革した人物として位置づけられる。
改革の中核は、ざっくり言えば次のようなものだ。
- 修道院生活を「世俗化(mondain)」から切り離し、規律・沈黙・禁欲・共同体秩序を重視する方向へ再編する(=「修道生活とは何か」を再定義する)。
- その改革が成功すると、彼女はポール=ロワイヤルにとどまらず、他修道院の改革にも関与する(特にモビュイソンが重要)。
この「改革」は、単なる内部の生活改善ではなく、17世紀の宗教改革(カトリック改革)や、のちにジャンセニスム論争とも結びつき、“厳格さ/不寛容さ(intolérance)”の象徴として語られやすい。
今回読んだ箇所と、ポール=ロワイヤル改革はどう関連するのか
あなたが読んだ箇所では、「修道女と修道士が(比較的自由な雰囲気で)踊っていた」話が出てきた。ここにポール=ロワイヤルは次の2点で直結する。
1) アンジェリック・アルノーが「モビュイソン改革者」として登場する
本文のモビュイソン修道院の場面は、まさにアンジェリック・アルノーが、ポール=ロワイヤル改革ののちにモビュイソンを“規律ある生活へ戻す”ため改革に関与したという筋で語られるタイプの逸話である。カトリック系の概説でも、ポール=ロワイヤル改革後に彼女がモビュイソン改革に取り組んだことが明記されている。
したがって、今回の箇所は「ダンスそのもの」以上に、改革派の視点から見た“世俗性(mondanité)”の象徴的エピソードとして配置されている。
2) アンジェリック・ド・サン=ジャンが「改革派の厳格さ(不寛容さ)を体現する語り手」として機能する
もう一人のアンジェリック(アンジェリック・ド・サン=ジャン)は、ポール=ロワイヤル共同体の指導的修道女で、ジャンセニスム運動では妥協を拒む強硬派のリーダーとして描写されることが多い。
今回の箇所で彼女(あるいは彼女の周辺の語り)が引用されるのは、当時の踊りが現代ほど「性的・スキャンダラス」ではなかったとしても、改革派エリートの道徳感覚からは“修道生活にふさわしくない”逸脱として強く問題化されうる、という論点を支えるためである。要するに、ポール=ロワイヤル改革は、本文の言う「改革派エリートの不寛容さ」を具体例で見せるための背景装置になっている。
参照URL
Soule(スール)の概要(伝統的集団球技) https://fr.wikipedia.org/wiki/Soule_%28sport%29 https://books.openedition.org/pur/237646?lang=en
J.-J. Jusserand『Les Sports et jeux d’exercice dans l’ancienne France』(1901)の所在(デジタル閲覧) https://archive.org/details/lessportsetjeuxd00juss https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bd6t5255932j
旧フランス貨幣の基本換算(livre / sou / denier:20・12の体系) https://en.wikipedia.org/wiki/French_livre
アンシャン・レジームの「fêtes chômées(労働停止の宗教祝日)」が17世紀前半に平均33平日程度あった、という研究紹介(要旨) https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/20795285/
E.P. Thompson「Time, Work-Discipline, and Industrial Capitalism」(時間規律の古典) https://tems.umn.edu/pdf/EPThompson-PastPresent.pdf
近代的な「余暇(recreation)」のスローガン例(Owenの8時間) https://en.wikipedia.org/wiki/Eight-hour_day_movement
有給休暇の国際条約(ILO C52, 1936) https://www.ilo.org/resource/c52-holidays-pay-convention-1936
旧フランスの勘定単位(livre / sou / denier) https://fr.wikipedia.org/wiki/Syst%C3%A8me_mon%C3%A9taire_du_royaume_de_France https://essentiels.bnf.fr/fr/societe/economie/b5ea6c1b-57ed-4d55-b6ea-cad52a6938a9-franc/article/b3396edc-6560-4f11-b211-aafe6e2e229a-systeme-monetaire-medieval https://script.byu.edu/french-handwriting/tools/currency
「ドゥニエ/日給」など賃金比較の例(中世ノルマンディ) https://comparativ.net/v2/article/download/3214/3090
