井出草平の研究ノート

アスペルガー症候群という用語はもう完全に捨ててしまうべきなのだろうか?


総説 アスペルガー症候群』にあるウィングの論文の締めの部分。アスペルガー症候群の概念が広がるきっかけをつくったウィングが回顧をしている。

 本章の初めに述べたことに今一度立ち戻るならば、皮肉な言いかたに聞こえるかもしれないが、1981年の論文でアスペルガー症候群」という用語を使った者の責任として、この用語が独立した実体として存在することに著者は強く反論する。著者が最初の論文のテーマにこの用語を採用した理由は、ドイツ語でアスペルガーが用いた「自閉的精神病質(autisticpsychopathy)」というレッテルを避けるためであった。ドイツ語では精神病質はパーソナリティ障害を指すが、英語では反社会的精神病質と同義に用いられることが多い。「アスペルガー症候群」という用語は、論を進めるのに十分ふさわしく、その行動パターンの性質について特別な意味を含まない中立的な言葉だと著者は判断したのである。また、アスペルガーが記述した一群の子どもへの理解が深まったのは彼のおかげであるという認識があったからでもある。困ったことに、言葉のレッテルは、造語者の意図などお構いなしにそれ自身の存在を主張するようになるという奇妙な癖がある。もし現在の状況を知った上で著者が最初からやり直すとしたら、このレッテルを採用するであろうか。たぶんそうはしないだろう。しかし、この用語は、自閉症スペクトラム障害という概念を広く普及させるのには役立っている。この用語の代わりに、高機能自閉症や平均以上の認知能力を持つ自閉症などの言葉を用いていたら、こうした結果になったであろうか。おそらくこうはならなかったかもしれない。だが、誰にそんなことがわかるだろうか。「アスペルガー症候群」という用語はもう完全に捨ててしまうべきなのだろうか? 著者には何とも言えない。この用語は今も臨床で用いられているのである。ひとつ明らかなことがある。パンドラの箱を開けた時には、その結果どんなことが起こるかを予想するのは不可能だということである。