井出草平の研究ノート

解離性同一性障害の盛衰

解離性同一性障害とは一般的な言葉では多重人格に相当する症候群のことである。この診断名は「虚偽記憶(false memory)」の問題を引き起こし、アメリカでは社会問題となった。

虚偽記憶についてはエリザベス・ロフタスのTEDでのスピーチで簡単に知ることができる。
エリザベス・ロフタス: 記憶が語るフィクション | TED Talk | TED.com

虚偽記憶というのは、体験していない記憶のことを言う。アメリカで問題になったのはセラピストが虐待の記憶をセラピーで植え付けるという行為だ。現在の精神的な不調は幼少期の体験、特に親による虐待によって引き起こされるセラピストの一部は考えていた。実際に面接をしてみると、虐待の記憶がない。実際に虐待はなかったからだ。しかし、それは、虐待経験を消し去るために、記憶が抑圧されているからだと解釈する。セラピストは虐待体験を掘り起こそうと様々な手を尽くす。そのうちに、虐待体験が「さもあったかのように」作りだされていくのである。

今回取り上げるのはジョエル・パリスが解離性同一性障害についてまとめた論評。

Joel Paris,
The rise and fall of dissociative identity disorder.
J Nerv Ment Dis. 2012 Dec;200(12):1076-9. doi: 10.1097/NMD.0b013e318275d285.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/23197123
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解離性同一性障害の作者はフロイトである

解離性同一性障害ジークムント・フロイトの初期の理論で示されたものである(Breuer and Freud, 1893)。彼は、幼児期のトラウマが後々の「ヒステリア(ヒステリー)」を引き起こすと考えていたためであり、実際にセラピーで解離性同一性障害を作り出していたようである。私たちがフロイトの著作で見ることができる解離症状を起こすヒステリーの症例は、フロイトによって作り出した、もしくはフロイトと患者の共作である。

ヒステリーというのは日常用語のヒステリー(女性か泣いたり叫んだり起こったりすること)とは異なる。現在の診断基準で言えば、その症状は解離性障害、身体症状障害の身体化障害に相当する。日常用語のヒステリーに相当するのは「易怒性(irritability)」であり、稀に「かんしゃく(tantrum)」とも表現される。もともとこの言葉は古代ギリシア語の「子宮(ὑστέρα)」から生まれた言葉であり、女性は感情的で理性的に理解できないといった伝統的価値観と女性固有の子宮という器官が結び付けられた問題の多い概念である。にもかかわらず、ヒステリーという言葉は日本語でも未だに使われるし、英語では"hissy"という言葉があり、どの社会でもかなりしぶとく残っている。

フロイトの著作で解離症状を持った症例を見ると、症例の興味深さに惹かれるだろう。それとともに、人間の理解の越えた部分を垣間見ることができ、精神分析学に奥深さを感じるかもしれない。しかし、精神分析が面白いのは、フロイトが患者と共に症例を作り上げていたからである。高い作家性を持ったフロイトという人物が作り上げた症例が興味深いのは当たり前の話であろう。

精神分析のからくりを知ったうえで、娯楽として楽しむ分には問題はない。しかし、多くの精神分析家は、セラピーを娯楽だとは思っていないし、自分の心理臨床でフロイトのやったことを再現しようとするのだ。その結果、解離性同一性障害を作り出すに至り社会問題を引き起こした。

解離性同一性障害が引き起こした社会問題

フロイトの話に感銘をうけた後世の精神分析家が似たような劣化コピーを作り続ける。症例数はとんどんと増加し、ついに、診断基準に掲載されるまでになった。解離性同一性障害精神分析家によるマッチポンプなのだ。

解離性同一性障害の問題は他にもある。パリスは、多くの家族と人々の生活を破壊したと指摘し、多くの精神分析家がフロイトと同様の間違いを起こしたと指摘している。虐待の虚偽記憶を埋め込まれた患者が、親を糾弾し、多く家庭が破壊された。

アメリカでは、解離性同一性障害と虐待の関係について、ずいぶんと認識が改められたようである。カルフォルニアでは父親の虐待体験の虚偽記憶を娘に植え付けたとしてセラピストに対して訴訟が起こり、父親側が勝訴している(Johnston, 1997)。精神分析家が自己満足で患者を増やして、患者の人生や家族を破壊しつづけることに、社会的制裁がようやく下されるようになったのだ。

エビデンス

トラウマと解離を支持するエビデンスはほとんどない(Lynn et al., 2012)。幼児・児童期の虐待によるトラウマと関連が指摘されるのはむしろ他の精神障害であり、その代表例は境界性パーソナリティ障害(BPD)である(Zweig-Frank et al., 1994)。解離性同一性障害がみられるとされても、他の様々な症状(うつ病、不安障害、パーソナリティ障害、薬物使用など)が併存している。

DSMでは有病率が1%と書かれているにも関わらず、実際に報告されている患者数が非常に少なく、DSMの有病率に根拠はない。また、解離性同一性障害を作りだすセラピー以外では見られないという指摘もある(Piper and Merskey, 2004)。

DSMへの掲載

パリスは著作の中で次のように述べている。

現代精神医学を迷路に追い込んだ過剰診断 -人生のあらゆる不幸に診断名をつけるDSMの罪

現代精神医学を迷路に追い込んだ過剰診断 -人生のあらゆる不幸に診断名をつけるDSMの罪

一旦あるカテゴリーが作られると,確固たる科学的な証拠がない限以外すのは極めて困難であった。これによって,ほとんど使われないような診断でマニュアルが溢れかえるという事態を招いた(Rutterand Uher, 2012)。またマニュアルには,ある時期には許容されても,研究によって否定された長らく使用されていない解離性障害のようなカテゴリーも依然として含まれている。 -ジョエル・パリス『現代精神医学を迷路に追い込んだ過剰診断』44ページ

現在では廃止が検討されている(されるべき)診断名の一つとしている。精神分析家によって症例が作り出されたものであるならば、診断基準に掲載するべきではない。パリスは解離性同一性障害DSMから削除することを(たびたび)主張している。

パリスによれば、解離性同一性障害の見方が変化したのは、精神医学のパラダイム変化が関係している。近年は生物学的な捉え方と薬理学的介入が中心になってきているので、精神分析的が退潮したということだ。その社会的な変化により、解離性同一性障害への信ぴょう性も揺らいできたということであろう。

文献

  • Johnston M (1997) Spectral evidence: The Ramona case: Incest, memory, and truth on trial in Napa Valley. Boulder, CO: Westview Press.
  • Lynn SJ, Lilienfeld SO, Merckelbach H, Giesbrecht T, van der Kloet D (2012) Dissociation and dissociative disorders: Challenging conventional wisdom. Curr Dir Psychol Science. 21:48-60.
  • Piper A, Merskey H (2004a) The persistence of folly: A critical examination of dissociative identity disorder. Part I. The excesses of an improbable concept. Can J Psychiatry. 49:592Y600.
  • Zweig-Frank H, Paris J, Guzder J (1994) Psychological risk factors for dissociation in female patients with borderline and non-borderline personality disorders. J Pers Disord. 8:203-209.