病気・疾病・やまい・やまいけ・わずらい・いたつき・疾患・Pathos

病気関連の日本語を整理してみた。

病気

日本国語大辞典』から。

(1)生体が正常と異なった形態または機能を示す状態。
古事談〔1212~15頃〕五・関寺霊牛事「而件牛両三日有病気」
保元物語〔1220頃か〕中・左府御最後事「左府御病気のよし聞えしかば」
(2)人の、悪いくせや行状。
*落紅〔1899〕〈内田魯庵〉三「復た貴夫の病気(ビャウキ)が初まりましたネ」

病気は西欧語の訳語ではなく13世紀に使用例があり、現代の使い方と違いがないことが確認される。2の言い回し1899年の使用例であり、比較的最近できたものだと確認できる。

疾病

日本国語大辞典』から。

(1)健康でない状態。
正倉院文書‐天平八年〔736〕薩摩国税帳(寧楽遺文)「疾病 人壱伯肆拾捌人給薬酒漆斗参升弐合」
*済北集〔1346頃か〕一四・病儀論・守口章第三「疾病之者、好嗜奇物尤招死之道也」
(2)直りにくい悪い習慣やくせ。
小説神髄〔1885~86〕〈坪内逍遙〉下・時代小説の脚色「我小説家には此弊多し〈略〉是実に除かざるべからざるの疾病(シッペイ)なり」

日本での使用例は病気より古く736年の正倉院文書である。また、病気とことなるのは漢文での使用が目立つことである。中国からの輸入された言葉ではないかと思われる。中国でも日本と同じ使い方がされている(参照)。2つ目の意味は病気とほぼ同じである。ただ、こちらの用法は現在では使わないだろう。

病(やまい)

日本国語大辞典』から。

(1)(─する)病むこと。病気。いたつき。わずらい。疾病。
日本書紀〔720〕皇極二年八月(岩崎本訓)「天皇皇祖母の命の臥病(みヤマヒし)たまひしより」
万葉集〔8C後〕五・八九七「老いにてある 我が身の上に 病(やまひ)をと 加へてあれば〈山上憶良〉」
(2)欠点。短所。きず。また、詩歌・文章などで修辞上きらうこと。
源氏物語〔1001~14頃〕玉鬘「和歌の髄脳、いと所せう、やまひさるべき所多かりしかば」
(3)苦労のたね。気がかり。心配。
竹取物語〔9C末~10C初〕「御こしはをれにけり。中納言は〈略〉それをやまひにていとよわく成給ひにけり」

この種の言葉で成立の古いものの一つ。2と3の意味の転用も成立は古い。「心の病」「不治の病」などという言い回しは現代でもされている。「やまい」単体で使うことはあまりないかもしれない。「やまいにおかされた」というと、なにか少し昔の話のようである。

病気(やまいけ)

日本国語大辞典』から。

病気の気味。病気らしい気配。
仮名草子・浮世物語〔1665頃〕四・一「この牛は力も強く病気(ヤマヒケ)もなきか」
俳諧俳諧新選〔1773〕三・秋「病ひ気の無い匂也菊の花〈千梅〉」

病気とは書くが「病」の「気配」という意味。「やまい」が大和言葉であるが「やまいけ」の成立は江戸時代なので、「びょうき」を大和言葉で読んでみたということなのだろうか。

煩・患(わずらい)

日本国語大辞典』から。

(1)悩むこと。苦しむこと。また、厄介なこと。手数のかかること。
日本書紀〔720〕垂仁八七年二月(北野本訓)「神庫(ほくら)高しと雖も、我能く神庫の為に梯(はし)を造(た)てむ。豈庫(ほくら)に登るに煩(ワツラヒ)あらむや」
(2)(累)苦労の種となるもの。妻子、縁者など面倒をみなければならない者、また、それによる連累。係累
石山寺金剛般若経集験記平安初期点〔850頃〕「永昌年中を以て親の累(ワツラヒ)に縁りて断ぜらるるに極法を以てせらる」
(3)病気。やまい。疾患。
*天草本伊曾保物語〔1593〕狼と狐の事「ゴザヲモ フジャウニ ナシタテマツラバ、イヨイヨ ヲvazzuraino (ワヅライノ) モトトモ ナラウズ」

成立は古いが病気という意味で使われ出したのは16世紀のようだ。現代では「煩わしい」が最もよく使うだろうが、「恋煩い」という使い方もある。何かの病気を患(わずら)うという用例は最近はないように思われる。

労(いたつき)

日本国語大辞典』から。

(1)骨折り。苦労。
*大和物語〔947~957頃〕一四七「そのいたつき限りなし」
(2)病気。
古今和歌集〔905~914〕仮名序「咲く花に思ひつくみのあぢきなさ身にいたつきのいるも知らずて」

現代では使わない言葉。
語源説(1)イタツヅキ(痛続)の略〔言元梯〕、(2)イタミツキ(痛付)の略〔名言通〕、(3)イタツキ(痛着)の義〔国語の語根とその分類=大島正健〕といったような説があるらしい。

疾患

日本国語大辞典』から。

やまい。病気。 *医語類聚〔1872〕〈奥山虎章〉「Pathos 疾患」
金色夜叉〔1897~98〕〈尾崎紅葉〉後・四「肢体に数個所の傷部と与に、其の免るべからざる若干の疾患を得たりしのみにて」
*南史‐宋武帝紀「荊州刺史劉道規、疾患求帰」

成立が明治5年と新しく外国語のpathosの訳語として「疾患」という言葉が充てられている。

『医語類聚』は国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できる。

f:id:iDES:20200807165603p:plain https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833035

「Pathos 疾患」以外に「Passis 疾病」という表現もある。 様々な言語が混合しているので結構ややこしい。Pathosは英語とギリシア語とラテン語はどちらも同じ綴りなのでどの言語かわからないが、Passisは英語にはないのでラテン語だろう。

『医語類聚』とは別に中国で『南史‐宋武帝紀』の用例が『日本国語大辞典』に掲載されている。病気になったので帰郷したいということなので、病気と理解して問題なさそうである。時節で分析するが『医語類聚』の疾患は「病気にかかって悩んだり苦しんだりすること、人」と推測できるため『南史』の意味とは異なる。当時の資料の入手性からいっても、『医語類聚』の訳者である奥山虎章が中国での使用例を参照したとは考えにくい。奥山虎章の造語であろう。

その後の『金色夜叉』での使用例は病気に近い意味である。『医語類聚』の意味とは異なっている。『医語類聚』がpathosの訳語として疾患という熟語を充てたのは理解できるが、疾患という熟語だけ見た人が、pathosに訳し直せるかというとおそらく無理である。漢字の「疾」と「患」から病気に似た意味だと推測するだろう。『金色夜叉』の使用例になるのは無理からぬことなのだと考えられる。

Pathos

ランダムハウス英和大辞典から。

1 (文学・音楽・演説などでの)哀れみ[同情]を催させる要(かなめ),パトス;悲しみ,悲哀,ペーソス
2 〔美学〕 (特にギリシア芸術作品での永遠物,理想的なものに対して)刹那(せつな)的・感情的要素,パトス
3 哀れみ,同情
4 〔哲学〕 パトス,情念.
5 (廃・詩語) 苦しみ,苦難,悲痛.

『医語類聚』の示している意味は5だと思われる。

日本語ではペーソスというカタカナ語になっている。若年層は使わないが高齢者層には普及している言葉だと思う。 余談だが、同じ綴りでパトスというカタカナ語があるが、おそらくアリストテレスのパトス/エートス概念からの輸入だろう。ギリシア語である。エヴァンゲリオンの「残酷な天使のテーゼ」に「パトス」という言葉が使われているが、アリストテレスの概念なのかはよくわからない(というかアリストテレスの用語である必要がない)。ギリシア語であるのは確かだ。

『医語類聚』のPathosだがラテン語の辞書を引くと英語と同じ意味である。

online-latin-dictionary.comより。

pathos, tender or passionate feeling
https://www.online-latin-dictionary.com/latin-english-dictionary.php?parola=Pathos

そこで、英語の語源辞典を引いてみた。

Online Etymology Dictionaryより 1660年代にギリシア語から輸入されたものらしい。

pathos (n.)
"quality that arouses pity or sorrow," 1660s, from Greek pathos "suffering, feeling, emotion, calamity," literally "what befalls one," related to paskhein "to suffer," pathein "to suffer, feel," penthos "grief, sorrow;" from PIE root kwent(h)- "to suffer."
"哀れみや悲しみを呼び起こすもの"、1660年代にギリシャ語pathosから。"苦しみ、感情、感情、災難 "。"人に降りかかるもの"、"苦しむ"というpaskhein、"苦しむ、感じる"というpathein、"悲しみ、悲しみ"というpenthosに関連している。印欧基語の
kwent(h)の"苦しむ "から来ている。 https://www.etymonline.com/word/pathos#etymonline_v_10151

疾患というより、感情に焦点当てた語であることがわかる。現在の意味での疾患という使い方ではないようだ。
患(わずらう)には病気といった意味と共に、「悩むこと。苦しむこと。」という感情的に焦点を当てた意味があるため、医語類聚における疾患というのは「病気にかかって悩んだり苦しんだりすること、人」という意味だったのではないだろうか。

kwent(h)-

kwent(h)-
Proto-Indo-European root meaning "to suffer."
It forms all or part of: anthropopathy; antipathy; apathy; empathy; idiopathy; nepenthe; osteopathy; -path; pathetic; -pathic; patho-; pathogenic; pathognomonic; pathology; pathos; -pathy; psychopathic; sympathy.
It is the hypothetical source of/evidence for its existence is provided by: Greek pathos "suffering, feeling, emotion, calamity," penthos "grief, sorrow;" Old Irish cessaim "I suffer;" Lithuanian kenčiu, kentėti "to suffer," pakanta "patience."
"苦しむ "という意味のインド・ヨーロッパ語の原語ルート。
次の言葉、言葉の一部を形成している: antipathy; apathy; empathy; idiopathy; nepenthe; osteopathy; -path; pathetic; -pathic; patho-; pathogenic; pathognomonic; pathology; pathos; -pathy; psychopathic; sympathy.
以下の言葉が語源となったとされる仮説、またはエビデンスがある。ギリシャ語のpathos、古代アイルランド語のcessaim、リトアニア語のkenčiu, kentėti、pakantaの"patience."
https://www.etymonline.com/word/*kwent(h)-