AO入試はサイコパスばかりが通る試験なのでやめるべき

中野信子の主張である。

サイコパス (文春新書)

サイコパス (文春新書)

ビジネスマンにとって最大の興味は、「サイコパスは仕事ができるのか、できないのか?」ではないでしょうか。
アメリカの産業心理学者ポール・バビアクによれば、サイコパシー尺度のスコアはエグゼクティブ層の方が高く、世間一般の方が低いという結果が出ています。言いかえれば、「出世した人間にはサイコパスが多い」ことがわかっています。
ということは、サイコパスは仕事ができるのでは?と思うかもしれませんが、必ずしもそうではありません。(pp.182)

サイコパスが高いプレゼンテーション能力を持つことは確かです。
彼らは誠実さを欠き、批判されてもピンときません。だから平気で仕事を先延ばしにしたり、約束を破ったりしてしまいます。衝動性が高いため、凡帳面さを求められる仕事や、協調性や忍耐が求められるチームワークが苦手です。しゃべりは得意で存在感はあるのですが、よくよく精査してみると、意外と業績は低いことも少なくありません。
つまり口ばかりうまくて、地道な仕事はできないタイプが多いというわけです。バビアクによると、当初まわりが期待していたほどには仕事ができないということが、後になってわかる、というのです。(pp.183)

こうしたサイコパスの特性を考えると、面接ばかりを重視した採用試験や大学のAO入試には、問題があると言わざるをえません。過剰に魅力的で、確信をもって堂々とした話しぶりをするサイコパスばかりが通る試験になりかねないからです。
同様に、司法の素人に判断させる裁判員制度も、弁舌に長けたサイコパスの存在を考えると、危険きわまりない司法制度だと言えます。(pp.186)

ここでのサイコパスレクター博士やコーポレート・サイコパスのようなタイプのことであろう。
個人的には、サイコパスと言わずとも、AO入試が欠陥制度だと考えている。

社会科学の研究は論述を入試問題に含めることも不適格だとしている。理由は、論述の成績と入学後の成績に関連が低いためである。入試は、入学後に十分学べる素質があるか否かを計測するものだ。論述はその指標として機能していないとみなされているのである。

論述試験は、日本では2020年から導入される大学入学共通テストで導入され予定である。しかし、アメリカなどでは逆に廃止の方向に向かっている。ハーバード大学はSATやACTの中で小論文の得点を選考に使用しないように制度を変更している。

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