井出草平の研究ノート

フィリップ・アリエス『<子供>の誕生』#18 メモ

78ページ下段後ろから6行目〜81ページ下段・真ん中まで。

17世紀の賭博観と「近代の後ろめたさ」

「17世紀には賭博(jeux de hasard)はいまほど道徳的に疑われておらず、現代の“後ろめたさ”は19世紀的な道徳化(moralisation)と結びつく」という主張である。これは“実証”というより歴史解釈(価値観の変化の説明)だが、少なくとも同時代テキストの言い回しとして、賭博が「危険だが条件次第で有益」「社交圏への入口」と語られている証拠は提示できる。

カイエール(Caillière)の記述が示すもの

「敬虔で道徳説教的」な人物が、賭博を“役に立つ”と論じる

カイエールの記述は1660年代刊のキャリア指南書で、著者は若者に放蕩を戒めつつ、賭博については「聖職者・職業道徳家は明確に非難する」と認めた上で、それでも俗人(laïcs)の古い意見として、状況次第で「害より益が大きい」と弁護する点にある。ここが「17世紀の“道徳的無関心(あるいは相対化)”」の材料になる。

「小貴族(Particulier)には有益」とは何を意味するか

ここでの区別はだいたい次の通りである。

  • homme de qualité(人・家格も資産も大きい“上層”):賭け金が大きくなりやすく、負けた時の損失が巨額=「危険」。

  • Particulier(“gentilhomme particulier”=小規模で金の乏しいジェントリ):持ち金が少ないので「賭ける額の上限が低い」=“失うものが小さい”。にもかかわらず、運(fortune)による上振れは大貴族と同様に起こり得る=「上振れの期待がある」。

つまり「リスク(下振れ)を取れる上限が低い層にとっては、賭博が“上への跳躍”として機能しうる」という言い方であり、現代の感覚でいえば超ハイリスク投機を“低資本の起死回生手段”として正当化する構図に近い。

文末の「実に奇妙な識別」とは何か

「奇妙な識別」とある。まさにこの同じ賭博行為が、階層(資産規模)によって道徳評価を変えられる”点である。 通常の道徳直観だと、賭博は行為それ自体が良い/悪いと裁かれがちだが、ここでは「危険だが有益」という功利・階層依存の倫理(富者には害、貧者には益)で語られる。これが「奇妙」なのである。

ここでいう「賭け」とは何か

ここで語られている賭けは、この文脈では基本的にカード・ダイス等の“運のゲーム”に金銭を張る行為である。カイエール自身が「カードとダイスのことを言っている(J’entends parler des cartes et des dés)」と明示している。

具体的な賭博の種類:当時の“運ゲー”の代表像

カイエール本文から確実に言える範囲

本文から確実に言えるのは「カード(cartes)」「ダイス(dés)」である。さらに、引用部では「カード1組とダイス3個で生計を立てる者」まで言及され、賭博が(少なくとも観念上)“職業=稼業”として語られる。

tableau(表)に賭ける型:ホカ(Hoca)の例

「“tableau”に賭ける型」は、百科全書のホカ(Hoca)の説明が分かりやすい。要点はこうである。

30のマス(ケース)に番号が振られた盤(tableau)がある。

賭け手は任意の番号にコインを置く(=その番号に賭ける)。

番号の付いたボールを壺から引き、当たり番号なら28倍を受け取る(残りが胴元の取り分として設計される)。

記述の中で「多数を破滅させた」「(当局によって)禁止された」といったニュアンスも語られる。

このタイプは、現代的に言えばルーレットに近い“盤面番号への単純賭け”である。

  • Diderot, D., & d’Alembert, J. le R. (Eds.). (1765). Encyclopédie, ou dictionnaire raisonné des sciences, des arts et des métiers (Article: “Hoca”). https://en.wikisource.org/wiki/Encyclop%C3%A9die,ou_dictionnaire_raisonn%C3%A9_des_sciences,des_arts_et_des_m%C3%A9tiers,_1st_edition/Hoca

バセット(Bassette)等:18世紀に「社会的・道徳的非難」が強まる材料**

18世紀の賭博(例:バセット)を扱う研究では、文学表象の中で賭博非難が強く語られ、当局への「取り締まり要請」が出る、といった話が整理されている。つまり、少なくとも17→18世紀の間に、“害悪として語る語り口”が目立つ局面があることは、19世紀以前から段階的だった可能性を示す。

「特殊な貴族」とは何か:gens de qualité/Particulier/地方領主

日本語訳として登場する「特殊な貴族」は誤訳で、ここでは主に“上層の家格・資産を持つ貴族(gens de qualité)”と、対比される“小規模で金の乏しい貴族(gentilhomme particulier=Particulier)”のことである。引用部にある「地方の領主(seigneurs de province)が大きな所領はあるが現金がない」対比も同じ線で、地位・土地と、流動資金(argent liquide)のズレがポイントになる。賭博はこの“現金”の問題と結びついて語られる。

「上流社交圏への入場券」

“入場券”としての賭博(良い社交圏に入り、王侯や大人物と同席しやすい)は、あなたが引用したMéré(シュヴァリエ・ド・メレ)の文章として提示される。

Particulier / gentilhomme particulier の語の成立(用法のポイント)

“gentilhomme particulier”の略としての Particulier である(=“gens de qualité”に対する、比較的小規模で資力が乏しい貴族)。一般語としての particulier(私人/個人)とも連続しており、「宮廷で官職・家格に支えられた“公的”な立場ではない」「個人として食い扶持を工夫する」含意を帯びやすい。

イギリスとフランスの貴族階級(ざっくり比較)

イギリス:peerage(同輩貴族)の序列が明確

イギリスでは、peerage(貴族身分)の序列は通常、Duke / Marquess / Earl / Viscount / Baronの5階級として整理される。

フランス:称号の序列はあるが、身分構造は“剣の貴族/法服貴族”など軸が複数

フランス(アンシャン・レジーム)では称号(duc, marquis, comte…)の序列の話もある一方で、社会史的にはしばしばnoblesse d’épée(剣の貴族)/noblesse de robe(法服貴族=官職貴族)のような区分も重要になる。カイエールの「gens de qualité/Particulier」対比も、この“多層構造”の一部である。

賭博は社交の一つだったのか

このスレッドで扱った限りでは、少なくとも上層社交圏において賭博(カード・ダイス等)が社交の“場”を構成する装置として語られている。

「そこに行けば黙っていても良い社交に“居合わせる”ことができる」

「王侯も退屈するので遊びが必要」

「出入り(entrée)を開く」 という語りが、まさに賭博を社交技術として捉えている。

没落例はなかったのか(=反証・緊張関係)

「賭博が“有益”として語られる」一方で、没落・破産・社会問題化もする。百科全書のホカ項目は、ゲームが多数を破滅させた、当局が禁止した、といった含意を含む。

個別例としては、伝記的に「賭博の負債」などが語られる人物・邸宅史が(少なくとも二次資料レベルでは)見つかることがある。 ここは「17世紀は無罪、19世紀で突然悪になる」よりも、早くから“害悪視”も存在し、社会階層・場面で評価が揺れる、という方が説明力が高い可能性がある。

キリスト教的価値観では賭けは良かったの

「当時の“職業道徳家/聖職者は非難する”と著者自身が認めている」ことが重要論点になった。つまり、少なくとも当時の言説空間において、教会側の強い警戒・非難は存在する。 一方で、(現代カトリック教理では)賭けやゲーム自体が直ちに不正義ではなく、生活必需を奪うほどになると道徳的に許容されない、という形で条件付けがなされている。これをそのまま17世紀に遡及すべきではないが、「行為そのものの一律禁止」ではなく「程度・帰結で判断」という枠組みが見えるのは、あなたが抱いた違和感(“当時は良かったのか?”)を整理する手がかりにはなる。

ビジネスとして合理性があったのか

合理性は二層ある。

純粋に金銭面(期待値)としての合理性

史料の語りは、現代の統計的期待値の議論というより、「少資本が一気に上に跳ねる可能性」「資産家ほど負けが致命的」という、階層とリスクの直観で正当化されている。

しかもカイエールは「情念を制御し、稼業としてやる」「借り入れが利く」など、勝ち負け以外の“運用”まで書く。ここは、現代の感覚だとむしろ危ういが、当時の語りとしては“職能化”である。

社会資本(ネットワーク)としての合理*

賭博の場が上流社交圏と強く結びつくなら、勝ち負けとは別に、「出入りできる」「顔を売れる」「恩顧・紹介につながる」が、キャリアに換金され得る。 この意味では、賭博は(現代の“危険な副業”というより)社交のインフラとして合理性を持ち得る。

ただし、上の合理性は同時に「没落」や「取り締まり」とセットであり、社会が賭博を“便利な装置”としても“危険な病理”としても見ていたこと自体が重要な論点であった。

まとめ

17世紀の賭博は、少なくとも一部の世俗言説では、単なる悪徳ではなく「条件次第で有益」「社交圏への入口」「(小貴族にとって)立身の道具」として語られていた。

その根拠として、道徳家タイプの著者(カイエール)がカード・ダイス賭博を“功利的に擁護”する章を書いている点が強い証拠になる。

ただし、没落や社会問題化の線も同時代から存在し、百科全書レベルでも「破滅」「禁止」言説が見える。したがって「17世紀=無罪/19世紀=突然罪悪」より、評価の揺れ・段階的変化として捉える方が堅い。

「賭け」「tableauに賭ける」は、当時の番号盤ゲーム(ホカ)などで具体像が掴める。

「Particulier」は“小規模で現金に乏しい貴族(gentilhomme particulier)”という身分語で、英仏の貴族制度比較では、イギリスの明確なpeerage序列と、フランスの多軸的身分構造(称号序列+剣/法服など)を区別すると理解が進む。