井出草平の研究ノート

中高生ネット依存93万人調査・久里浜医療センター樋口進さん研究に疑問点あり

誤読も含みつつ話題になっているので、整理しておきたいと思う。
標題の93万人という結果を出した調査は2018年に発表されたものだ。新聞で報道もされている。

ネット依存、中高生93万人に疑い(2018年8月31日 朝日新聞) digital.asahi.com

この調査は、厚生労働省科研(飲酒や喫煙等の実態調査と生活習慣病予防のための減酒の効果的な介入方法の開発に関する研究)で行われた中高生への調査である。 mhlw-grants.niph.go.jp

厚労省科研調査の質問項目は何か

厚労省科研調査の質問項目は何かということをまずははっきりさせておいた方がよいだろう。厚労省や日本の研究者が作ったものではなく、Young’s Diagnostic Questionnaire(YDQ)もしくはInternet Addiction Diagnostic Questionnaire (IADQ)と呼ばれる尺度である。初出は有名なYoung(1998)である。

Young KS. Internet addiction: the emergence of a new clinical disorder. Cyberpsychol Behav. 1998;1:237–244. http://netaddiction.com/articles/newdisorder.pdf

日本語版YDQの妥当性・信頼性の報告が存在しない問題

YDQの抱える問題は妥当性・信頼性の報告が存在しないことである。

尺度を翻訳した際に、妥当性と信頼性のデータを出すという手順を踏むのだが、それを示す論文などが存在しないことである。以前から調べているが、なぜか見つからないのである。

要するに、科学的に必要とされている手続きが踏まれた形跡を確認できないということである。もちろん僕の調べが不十分という可能性もあるのでもし知っている方がおられたら教えて欲しい。

僕が知る限り、YDQが日本語で紹介されたのは2013年に出版された、樋口進『ネット依存症のことがよくわかる本』である。翻訳は「久里浜医療センターネット依存治療研究部門」となっている。

妥当性の問題

尺度研究では併存妥当性というについて検討する。併存妥当性は1) 診断基準と比較して妥当か、2) 他の同種の尺度と比べて似たような結果が出ているか、という2点の方法がある。

1. 診断基準との妥当性

インターネット依存の診断基準は存在しない。ICD-11に採録されたものもゲーム障害であり、インターネット依存ではない。

よって、インターネット依存の診断基準が定められていない時点でYDQの妥当性は算出できない。しかし他の方法が残されている。YDQそのものが診断基準として使用できるし、Youngもそのように考えているわけだから、妥当性は算出できる。また、Tao et al.(2010, https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/20403001)などのようにインターネット依存の診断基準を提案している論文が複数あるので、それらの基準との比較検討を行うこともできる。

2. 感度・特異度の問題

自記式の質問紙でYesと出ても、実際に医師が診断してみたら診断できなかったということはよくある。これは擬陽性という。逆に自記式のテストでNoと出て、診断でYesと出るのは偽陰性である。

これらの数値を尺度研究では感度(sensitivity)・特異度(specificity)という。

YDQの感度がわからないが、尺度の相場は0.6~0.9である。93万人が質問紙で該当したとしても、実際に診断ができるのはその6割~9割である。感度・特異度があれば、仮に診断した場合、どの程度、陽性になるかがわかるので、発表する数値はこちらの方が望ましい。

質問紙であるYDQの数をそのまま発表すると、樋口さんはネット依存者の数を「盛りに盛った」社会扇動家(参照)と言われても仕方ないだろう。
「疑い」という文字が入っていたとしても、である。

3. バックトランスレーション

尺度を日本語化する場合には、バックトランスレーションを行うことは必須である。バックトランスレーションとは、原版の英語を日本語に直して、その日本語をまた英語に直して、もともとの原版と比べて、同じ意味になっているかという手続きである。それぞれの翻訳は、別の人間が行う。

YDQの日本語版を作成する際にバックトランスレーションを行ったことが確認できない。

4. 他の尺度との妥当性

さきほど「2) 他の同種の尺度と比べて似たような結果が出ているか」という点である。尺度研究としては他の尺度との併存妥当性の研究がされるべきである。特に診断基準との併存妥当性がとれないという場合には、他の尺度との妥当性を保証する必要がある。何もないというのはやはり不自然だし、尺度研究の常識からかなり逸脱した形であるのは間違いない。

厚生労働省科研調査版と日本語版は異なる

後段の表で詳しく比較してあるが、厚生労働省科研調査版と日本語版は異なっている。厚生労働省科研調査版は6番7番の質問がアレンジされている。

厚生労働省科研調査版
6. あなたは、インターネットのために大切な人間関係、学校のことや、部活動のことを台無しにしたり、あやうくするようなことがありましたか?
日本語版
6. あなたは、インターネットのために、大切な人間関係、仕事、教育や出世の機会を棒に振るようなことがありましたか。


厚生労働省科研調査版
7. あなたは、インターネットへの熱中のしすぎをかくすために、家族、学校の先生やその他の人たちにうそをついたことがありましたか?
日本語版
7. あなたは、インターネットのハマり具合を隠すために、家族、治療者やほかの人たちに対してうそをついたことがありましたか。

一般的な感覚から言うと、このくらいアレンジはよいのではないか、とも思えるが、学術ではYDQを使用した調査だと名乗ることができない。

原版では「出世の機会を棒に振る」と書いてあり、対象は成人である。しかし、厚生労働省科研調査は対象が中高生なので、中高生に「出世の機会を失ったことはあるか」と聞くのは不適切である。従って、文言の修正は適切だったと言える。しかし、それは、YDQのオリジナルではなく、YDQを修正したもの、もしくは中高生版、児童思春期版というような別の尺度だと言わなければならない。

YDQの中高生用修正版という修正を明言しているか

樋口進「ゲーム障害について」(4ページ目) https://www.mhlw.go.jp/content/12200000/000592469.pdf

Young KS, Cyberpsychol Behav, 1998.

厚生労働省科研調査版に、Youngのクレジットが書かれてある。これは明らかにまずい。やってはいけないことである。

論文ではどうか?

2016年に三原聡子さんを筆頭著者にした論文が書かれている。これは、93万人の報道があった2017年調査より5年前の2012年に同種の調査が行われていて、その結果を報告した論文である。

www.ncbi.nlm.nih.gov

さて、この論文ではYDQについてどのように表記があるかというと"Japanese version"とあるだけである。

Internet use and the Japanese version of the Young’s Diagnostic Questionnaire (YDQ)

この論文の調査では原版をそのまま翻訳した日本語版が使われていたのかもしれないと思い、調査票を確認してみた。『未成年者の喫煙・飲酒状況に関する実態調査研究・平成24(2012)年度・総括』(https://mhlw-grants.niph.go.jp/niph/search/NIDD00.do?resrchNum=201222027A)で確認できる。最初の"201222027A0001.pdf"の13ページ目にこの調査の質問項目がある。

f:id:iDES:20200206184110p:plain やはりYDQを中高生用に修正した版なのである。

尺度を修正して別の尺度にしたものをJapanese versionと称して、学術誌に投稿するのは、学者として大きな倫理的欠落があるとしか言いようがない。

診断基準のないものを精神障害として喧伝する問題

「ネット依存、中高生93万人に疑い」と朝日新聞では報道されているが、そもそも診断基準がないものを精神障害のように扱うのは問題がある。

もちろん精神医学の研究として、この種の研究には価値がある。診断基準がなかったとしても、将来的に精神障害になる可能性のあるものを調査していくのは科学の発展として必要な営為である。しかし、それは研究の話であり、一般に喧伝することとは別である。

診断基準は多くの専門家の研究を基に決められるもので、インターネット依存研究で有名なYoungの質問紙であったとしても、インターネット依存の研究者の間でも、Youngの基準は適当ではないという論文もある(Tao et al.2010 https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/20403001)

たとえYoungであっても、一研究者の作成したものを世界基準のような形で流通させるのは間違いであるし、それが許容されるのであれば、世界共通の診断基準を作成する意義を否定することになる。

インターネット依存を社会問題化する意義も理解はできるが、そこで求められるのは科学的手続きをしっかり踏むことと、扇動的にならず節度のある研究の発表の仕方であろう。

各版の言葉遣いの違い

厚生労働省科研調査版と『ネット依存症のことがよくわかる本』掲載版と原版(英語)の3つを並べて比較する。

  厚生労働省科研調査版 『ネット依存症のことがよくわかる本』掲載版 Diagnostic Questionnaire for Internet Addiction (YDQ)
1 あなたはインターネットに夢中になっていると感じていますか?(たとえば、前回にインターネットでしたことを考えたり、次回インターネットをすることを待ち望んでいたり、など) ネットに夢中になっていると感じますか(例えば、前にネットでしたことを考えたり、次に接続するときのことをワクワクして待っているなど)。 Do you feel preoccupied with the Internet (think about previous online activity or anticipate next online session)?
2 あなたは、満足をえるために、インターネットを使う時間をだんだん長くしていかねばならないと感じていますか? 満足を得るためには、ネットを使っている時間をだんだん長くしていかなければならないと感じていますか。 Do you feel the need to use the Internet with increasing amounts of time in order to achieve satisfaction?
3 あなたは、インターネット使用を制限したり、時間を減らしたり、完全にやめようとしたが、うまくいかなかったことがたびたびありましたか? ネット使用を制限したり、時間を減らしたり、完全にやめようとしたが、うまくいかなかったことがたびたびありましたか。 Have you repeatedly made unsuccessful efforts to control, cut back, or stop Internet use?
4 インターネットの使用時間を短くしたり、完全にやめようとした時、落ち着かなかったり、不機嫌や落ち込み、またはイライラなどを感じますか? ネットの使用時間を短くしたり、完全にやめようとしたとき、落ち着きのなさ、不機嫌、落ち込み、またはイライラなどを感じますか。 Do you feel restless, moody, depressed, or irritable when attempting to cut down or stop Internet use?
5 あなたは、使いはじめに意図したよりも長い時間オンラインの状態でいますか? はじめ意図したよりも長い時間オンライン状態でいますか。 Do you stay online longer than originally intended?
6 あなたは、インターネットのために大切な人間関係、学校のことや、部活動のことを台無しにしたり、あやうくするようなことがありましたか? ネットのために、大切な人間関係、仕事、教育や出世の機会を棒に振るようなことがありましたか。 Have you jeopardized or risked the loss of significant relationship, job, educational or career opportunity because of the Internet?
7 あなたは、インターネットへの熱中のしすぎをかくすために、家族、学校の先生やその他の人たちにうそをついたことがありましたか? ネットのハマり具合を隠すために、家族、治療者やほかの人たちに対してうそをついたことがありましたか。 Have you lied to family members, therapist, or others to conceal the extent of involvement with the Internet?
8 あなたは、問題から逃げるために、または、絶望的な気持ち、罪悪感、不安、落ち込みなどといったいやな気持ちから逃げるために、インターネットを使いますか? 問題から逃れるため、または絶望的な気持ち、罪悪感、不安、落ち込みといった嫌な気持ちから解放される方法としてネットを使いますか。 Do you use the Internet as a way of escaping from problems or of relieving a dysphoric mood (e.g., feelings of helplessness, guilt, anxiety, depression)?