条例で住民に責務規定を課すことは謙抑的であるべき

少し前の、産経新聞の社説である。

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条例をそもそも読まずに書いているなど呆れる作文なのだが、今回はそれがテーマではない。産経の社説の間違いは後段で指摘しておいた。

最も問題だと感じるのは、条例を用いて住民に対して規制を行うことを当然だと考えている法の捉え方である。

条例で行政が住民に責務を求めることについて参考文献はかなり少なく、参考文献が限られてしまうのだが、本稿では加藤幸嗣さんの論考を取り上げる。

ci.nii.ac.jp

a 責務規定を行政の規制的権限発動の出発点とすることには、やはり、否定的に解すべきであると考えられる。この点は、基本的な考え方として述べれば、法の形式をもって市民の責務なり義務なりについて述べることには、謙抑的であるべきであるということによるであろう。

加藤さんによれば、行政が条例等に住民への「責務」を書くことは控えるべきとのことである。「謙抑」とは「へりくだって控えめにすること」という意味である。

国民主権の原則がある日本では、住民が主権者であり、公務員や議員は公僕であるため「謙抑」という言葉が使われている。民主主義の原則からいえば、当然の関係性なのだが、行政が住民の行動を規制することに産経の社説は違和感がないらしい。

しかしながら、先回、あるいは今回題材として採り上げている杉並区条例一七条四項に係る同条例四条二項の規定の場合には、廃棄物処理法等との関連で、むしろ、そもそも禁止行為として規定しておかれるべきものと解される。すなわち、ここでの問題は、本来ずばり禁止すると規定されるべき事柄について「責務」という言わばワンクッション置いた捉え方をしている点にあるように思われる。

ここで登場する杉並区条例十七条四項は廃棄物産廃について書かれたものであり、廃棄物処理法で禁止されている行為である。加藤さんは、この項目を条例で禁止と書かずに、責務とやや弱めた表現にしてあると解説している。

他の法律で禁止されていることを、条例では直接的に書けないので婉曲表現として責務という言葉を使うほど、条例において住民への責務というものは、本来は謙抑的にならなければならないことなのだ。

産経新聞の事実誤認

  • オンラインゲームに絞って修正
    → 条例の修正案はオンラインゲームに絞って修正などしていない。60分/90分時間制限はゲームに限定、9時/10時まで制限はいかなるスマホ利用も該当(参照)。条例を読んでいないようだ。

  • 条例の目的は、あくまで依存症対策を総合的に進めることだ。
    → 条例には依存症対策について何も書かれておらず、そこが最も問題である。やはり条例を読んでいないらしい。

  • 世界保健機関(WHO)はゲーム依存症(障害)を病気と位置付けた。
    精神障害は病気ではない(参照)

  • 高校生の1割強がネットへの依存性が高く「病的使用」。
    → ゲームの話をしていて、突如ネット使用の話にすり替えている。ゲーム時間制限の根拠を出すのであれば、ゲーム依存のデータを出すべきところである。また、病的使用という「病気」を連想させる用語の使用は不適切である。おそらくdiseasedやsicklyといった意味で社説筆者はこの用語を使っているが、専門用語では意味が異なる。病的使用はpathological useの翻訳であり、pathologicalは病理学的と翻訳すると最も日本語で伝わりやすいだろう。病的使用は、人を病気呼ばわりするための用語ではない。

  • 脳の損傷や萎縮が起きる研究報告もある。
    → 具体的にあげてそのエビデンスの信頼性を問うべきであろう。その論文を社説著者は確認したのだろうか。

  • 自分からやめられないのが依存症の怖さだ。
    → 自然寛解が多い(参照)。思い込みで物を書くべきではない。